福井作品考

2005年3月29日
読まれた方は分かると思うが、「終戦のローレライ」「亡国のイージス」に代表される福井作品には、全てにおいて共通したコンセプトが(おそらく意図的に)あからさまに示される。

さえない、駄目になりかけの中年、自分の生き甲斐を見つけられない少年、仕事がデキる女性、迷走する国家(日本)と進むべき道…

物語の骨格及びディテールは申し分ないと思う。ちょっと体言止めが多いのが気に掛かるけど。ただストーリーの流れがこうも同じだと、先の展開も読める(こいつ死ぬな、とか)し、読後感も「またか…」となる。完全なる同工異曲。

でも別に焼き直しじゃないし、個々の展開には先を読ませる力がある。だからこそ「川の…」から始まり、「12」「イージス」と続く3作に関連付けをしなくてもよかったんじゃないかと思うのは僕だけだろうか。アポトーシスやGUSOHは、あくまでその話を形成するプロットであり、前作をイメージさせるのは、ひとつの独立した物語に余計な味付けをしてしまう懸念があるんじゃないかと。

あ、余計なお世話ですな。

まあ、映画化をきっかけに周りには薦めています。ローレライはまだ観てないけど、どんな風に仕上がっているのかは興味あるし。

ちょっと不安・・・ですけれども。

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