妻子+両親で屋久島へ。白谷雲水峡だけど初の子連れ登山に挑む。ま、親もいるし、疲れたら替わってもらえばいいや、そんな軽い気持ちがあったことは事実。ただ前日にキャリアーをレンタルした時に、「こりゃ、一筋縄じゃいかんぞ」と思ったのも事実。

なにせ重い上に子供が乗りたがらない。お店では完全拒否状態だったので、大丈夫かいなと半信半疑で白谷へ。そんなに早く出発したわけではないけど、駐車場は幾分かスペースが残っていた。ラッキー。

なんとかなだめすかして、キャリアーに子供を乗せる。乗ってしまえばこっちのもので、適度の揺れが快適だったようで、道中泣き叫ぶこともなかった(途中で寝ちゃってたし)。すれ違う人が必ず注目していくのには、ちょっと優越感にも似た感情を覚える。自意識過剰って言えばその通りなんだけど、ま、かわいいからいっか。

ただ相当きつかった。重い、ひたすら重い。去年宮之浦縦走した時の装備と遜色ないくらい重い。装備のパッキングでは、それなりに考えて詰めるけど、子供はそうはいかない。あんまり自由度がない中で、大きく動かすとせっかく寝た子を起こすことになるし、かといって締め過ぎると窮屈。バランスも考えながら歩く。でも肩にかかる重みは命の重みとも言えるのかな。

結局、太鼓岩まで行った。結構眺めもよくて満足、満足。疲れたし、肩も痛くなったけど、親孝行と家族サービスが同時にできて、なかなかいい山行だったかな。
ヤクシカ邂逅
黒味岳を下山している途中、ざわざわっという音が聞こえた。登山道にいた一頭のヤクシカが茂みに入って僕を見つめていた。つぶらな瞳がまっすぐに自然の闖入者を捉える。僕は多少の気恥ずかしさを感じながらも、じっと見つめ返した。彼(彼女?)は視線を逸らすと、周囲の草を無心に食み始めた。

児童文学の巨匠、椋鳩十は戦前から屋久島に魅せられ、何度も足を運んでいるそうだ。ヤクシカはその作品の中でしばしば登場し、固有品種としての存在感と洋上アルプス屋久島の自然の豊かさの象徴として描かれている。
「人2万、猿2万、鹿2万」
まぎれもなく、屋久島の主のひとりなのだ。

そんな感慨に耽りながら、僕は山を下りる。少し先の花之江河には、かろうじてシャクナゲが咲いていて、先ほどの鹿との出会いと相まって、僕は今日ここに来られた現実に少なからず満足と感謝の気持ちを覚えた。あぁ、これなんだなぁ。

涼しげな風が吹き抜け、湿原の上を渡した木の橋の上でしばし空と山を眺めた。
Mの山に登る
屋久島のMの山、モッチョム岳に登る。
曇天で眺望が望めないことと、翌日の花之江河~黒味岳登山を考えると、誰しもを「キツイよ~」と言わしめるモッチョム岳に登ることは、かなりのリスクを孕んでいた。

ただ、モッチョム岳の山頂に立つことは屋久島における僕のひとつの目標であったし、もしかしたら登り切った時には天候が回復しているかもしれないという根拠のない楽観主義に導かれて、僕は千尋の滝展望台にある登山道の入り口に立っていた。

登り始めてすぐ、僕は軽い後悔に襲われた。前日の雨で湿った道は滑る、まともに整備されていない登山道は慎重に進まなければ迷う、強い傾斜はメタボ予備軍の僕の体力を少なからず奪う、霧は深くなり淡い期待が萎む。苔むした森と万代杉以外に、僕のテンションを上げる要素は何一つなかった。

なるほどMの山だ。「あなたマゾでしょ」と言われても、肯定せざるをえない。その先に美しい花が咲いているわけではない。今日は眺望すら望めない。僕は何故この山に登っているのか、途中から全く分からなくなっていた。

ただ引き返すのも癪だ。ここまで来たからにはピークに立たなければ気が済まぬ。その思いだけを頼りにロープを登り、岩場を這い、潅木を掻き分ける。延々とその作業を繰り返した末に、僕はとうとうモッチョム岳の山頂に立った。最後の岩場のロープを登り切った瞬間、僕は大声で快哉を叫んだ。

でも、そこはやはり霧に覆われていて、360度の視界が得られるはずが数メートル先さえ見えない。加えて霧に追われてきたのか、無数の虫が飛び回っている。残念ながらゆっくりする間もなく、僕は岩場のロープを降りた。

登り切った満足感は高い。眺望が得られれば、更に満足度は高まったことだろう。しかし「天気がいい日にもう一回登りますか」と問われたら、僕はしばし躊躇するだろう。そんなMの山なのだ。そして僕はそこまでMじゃないんだな、と再確認した一日だった。
そう考えたのは単なる思い付きと、一年の初めくらいは「何かを見下ろす」立場に立ちたいという願望があったからかもしれない。とにかく僕は、バイクを駆って開門岳の麓にいた。

天気は最高と言っていい。抜けるような青空と適度な気温。11時過ぎに駐車場に着いた僕は、おもむろにイカくんのトップケースから登山靴を取り出し、バイク仕様から山登りモードに装備を変える。さ、久々の山登り。胸が躍る。

開門岳は二合目から登山道が始まる。入り口の看板には「成人の登山目安は150分」と記されている。ゆっくりと一歩一歩を踏み出していくと、案外疲れない自分に驚く。正月太りできっと体重はプラス2,3kgになっているにも関わらず、順調なスタートを切ったと言えるだろう。

八合目くらいまでは、一人という気楽さと意外と楽に登れた安心感で、次々と前の登山客を抜かしていった。箱根駅伝の「何人ゴボウ抜き」なんて報道がされるが、まさにそんな気分。山登りは決して速さを競うものではない、という単純な法則は理解していても、なぜだかゴボウ抜きの自分に優越感にも似た感情を有してしまうのは、僕がきっと小さい人間だからかもしれない。

八合目以上では、徐々に元旦に降ったのであろう雪が残っていた。九合目を過ぎ岩場に差し掛かると、登山客で踏み慣らされた雪が凍ってつるつるに光っている。ちゃんとした登山用の靴を履いている僕でさえ滑るのだから、「開門岳だから大丈夫じゃね?」と嵩を括っていた連中は、さぞ難渋したことだろう。実際、帰りに革靴を履いた奇特な人とすれ違ったが、恐らく彼は頂上には到達できていないだろう。

南国鹿児島で氷に悩まされるという稀有な環境を克服すると、そこは924mの頂上が待っている。頂上の岩場にはたくさんの人たちがたむろしている。やっぱり、同じ事を考える人は大勢いるのね、と自分を正当化しつつ昼ごはん。時計は13時。ちょうど1時間半、90分で登ったことになる。30分弱、頂上で下界を見下ろす快感に身を委ねる。桜島はもちろん、遠く高千穂や屋久島も望むことができた。

下山時には登る時以上の慎重さが求められた。凍った岩場は、一歩間違えば滑落に繋がる危険なゾーンであり、それを皆が認識していたため、たたでさえ狭い下山ルートは大渋滞。笑ったのが、アイルランド人のちょっと太目の女性。立って降りることに危険を感じたのだろう、つるつるの岩場に大きなお尻をはめ込んで滑り台よろしく滑っていく。いちいちオーバーアクション気味に騒ぎながら滑るため、否が応でも注目を浴びる。とても微笑ましいのだけど「ああはなるまい」と心に誓う、メタボ予備軍の35歳。

下山に要した時間は1時間15分。登りとあまり変わらないのは、渋滞の影響だろう。久しぶりの山登りで最後は膝が笑っていたけれど、一人で登る山も悪くないなと認識できた。

「今年は10峰を目標に山を登る」
これが今日立てた抱負。やりたいことややらなきゃいけないことは、それこそ山ほどあるけど、屋久島を含めてこの目標はぜひ達成したいもんだ。
よく考えてみると僕が山に登る時は、なにか強い衝動が働いていたように思う。一切経山では「魔女の瞳」五色沼だったり、過去の自分を回想する開門岳だったり。

今回、屋久島にやって来て「100名山」宮之浦岳に登るつもりでいた。ただ天気が心配だったこと、前日も山歩きをして疲れが残っていると予想されたこと、連休で宮之浦岳や縄文杉などメジャーな観光地は相当混雑しているだろうな、と思ったことから、ぎりぎりまで迷っていた。

そんな中、ガイドブックに載っていた太忠岳の写真を見た。山の頂上にそびえる巨石。尖った石が空に突き出るように佇立する美しい姿に、「この山に登ろう」という衝動が湧き上がった。

自分の足で、ここに立ちたい。

ヤクスギランドから登山道に入る。連休中の混雑とは全く無縁な山は、予想以上に厳しい一面を見せる。スギの森を進み、ひんやりとしたヒメシャラに触れ、ロープを伝い、梯子を登る。整備された白谷雲水峡やヤクスギランドとは異なり、
「サンダル履きのおねえちゃんは来なさんなよ」
という屋久島本来の硬派な自然が嬉しいような、辛いような。

薄い霧の中に、神の岩「天柱石」が待っていた。神様の悪戯としか思えない、高さ30m以上の空のオブジェ。圧倒的な存在感に押し潰されそうになる。モノの大きさを測る尺度が破綻して眩暈すら覚えてしまう。

霧が晴れてきた。天を支える柱に寄りかかるように下界を見渡す。濃い緑の山々、空の青を鋭利に切り取る稜線、再度空気を支配すべく虎視眈々と湧き出るタイミングを窺う白い霧。太古より変わらない、この変わり続ける景色を、神が創造したもう石はずっと見守ってきた。おそらく縄文杉よりも長く、そして気高く。

山を下りて、安房の町に出た。夕焼けの向こうに豆粒大の天柱石が見えた。さっきまでそこに居たという感慨と共に、空のオブジェが僕らを仄かに照らす灯火のようにも思えて、自分を突き動かしてくれた衝動に感謝した。
美しい苔、美しい森。確かにそこは素晴らしい。屋久島白谷雲水峡。もののけ姫の森と称される、映画のモデルにもなった森だ。

だけど、なんとなく違和感を感じたのはなぜだろう。景色として、「もののけ姫」の舞台としての森は美しく、胸を打つ。鮮やかな緑、静かで薄暗い空気、壮大な時間が奏でる輪廻。なんとなくでき過ぎているのだ。

そこに準備された「ミニ屋久島」。そんな気がした。少し前までは「もののけ姫の森」というネーミングもされていなかったそうだ。世界遺産ともののけ姫のコラボレーション。
あぁ、素晴らしいじゃないですか。

「ここはもののけ姫の森ですよ」
若くてかわいいガイドさんが説明してくれた。確かに宮崎駿が発したメッセージを感受性が低い僕は察しようもないのだけれど、彼は自分のアニメが観光の一助になることを果たして望んでいたのだろうかと思う。
もっと大事なことを伝えたかったんじゃないか。

森は人間の干渉を受けない。だけど人間はむやみやたらと口を挟む。自分の名を冠した森に、もののけ姫が姿を見せることは恐らくない。
漠然とした憧れを持っていた屋久島に行くことになった。ダカールに満載の荷物と彼女を乗せて。

車でフェリーを使うと数万円かかるが、750CC以下のバイクなら片道2,700円。島での交通手段は必須なので、レンタカーやタクシー移動を考えると相当お得なのだ。

フェリー内で「しろくま」を食したり、「スクールウォーズ総集編」なんかを見ながら過ごす。あっと言う間(と言っても3時間半はかかっているけど)に屋久島に到着する。一年に400日雨が降ると言われる屋久島。天気が心配だが、宮之浦港に着いた時は薄曇り程度でなんとか持ちそうだ。

安房の民宿にチェックイン。「ごめんくださーい」と尋ねるも宿の人は誰もいない、見方によっては相当いい加減な宿。でも1泊3,000円の魅力は捨てがたい。後で実感したことだけれど、その民宿は料理店を併設していて、その食事の安くて美味いこと。予約をしてくれた彼女に感謝。

その後、千尋の滝、大川の滝、湯泊温泉に立ち寄る。湯泊温泉は海岸沿いの開放的な露天風呂。その場で脱げるのは男の特権。バスタオルを持っていなかった彼女は足湯にしか入らず。もったいないことをしたもんだ。少し温めのお湯は、露骨な潮の香りを漂わせることなく、僕の身体を包み込んでくれた。

夜は「首折れサバ」と「飛び魚の唐揚げ」を堪能。屋久島はあんまり美味しい店はないよ〜、と聞かされていた僕には嬉しい誤算だった。宿泊者サービスの三岳もやっぱり美味い。

僕らの屋久島の旅。初日は最近では拝むことのない、満天の星空で締めくくった。ちなみに僕は流れ星を見た。スゥーと星空に消えていった。
薩摩富士とも称される開聞岳は、離れて見ると大層美しい山容である。薩摩半島の先っぽで凛としてそびえる独立峰で、つい1,000年前まで活火山として活動していた獰猛さも併せ持つ。

僕らは、美しくも勇ましい女性にも似た開聞岳の登頂を試みた。標高は924m。カタログデータ的には大したことはないけれど、「じゃ、途中まで車で」って訳にもいかないスパルタンな山で、実際の登坂距離は結構なものだ。二合目の登山口から山に挑む。入り口の看板には、
「開聞岳は易しい山です」
との表示が・・・。あとで誰を対象にした話なのか、本気で疑いたくなった。

その秀麗なイメージとは相反して、鬱蒼とした森の中を進む。かろうじて木々の切れ目から眼下の風景を見て取れるものの、独立峰という開放的なイメージからは程遠い鬱屈とも言える山道が続く。

五合目を過ぎると、ロープを伝って登る箇所があったり、大きな岩を乗り越えなければならなかったりと、結構きつい道になっていく。ただ高齢のパーティーが前を進んでいて必然的にペースダウンしたためか、体力的・精神的な辛さは感じなかった。変化があって楽しいくらいだ。

しかし七合目から、山はその性格を一変させた。森に覆われた山肌から、ごつごつした岩が立ちはだかる道へと変わる。地学的にも七合目を境に違いがあるらしく、何か別な山を登っている印象すら与える変貌である。僕らは賑やかな高齢パーティーに道を譲ってもらい、前に進んでいった。小学生がダッシュで駆け上っていく。驚くべき軽装備の彼らは、先を競うかのように、何かに取り付かれたように先を急ぐ。

最後に急峻な岩々を登りきると、ようやく頂上にたどり着く。焼酎のCM(白波だったかな)にも登場する岩場から眺める360度のパノラマは確かに美しい。うす曇りの天気が残念ではあるけれど、そのマイナスを差し引いてもおつりがくる雄大さ。風を受け、岩場に立つ。手を広げ、風を捉えれば本気で飛べるんじゃないだろうかと思わせる、そんな光景だ。

開聞岳は、美しいが厳しい。その昔は修行僧がこもった山でもある。気高い故に厳しい、厳しい故に美しい。恐らくは日本人のDNAに組み込まれているであろう、そんな感慨を抱きつつ僕らはしばらく風に吹かれていた。
強風と低温の中、散々寒い思いをして待っていた僕らは、登ってきた道を引き返して鎌沼方面への分岐点までやってきた。すると、今まで吹きすさんでいた風も若干弱まり、こともあろうか山頂方面の霧が晴れてきたのだ。雲の合間から青空さえ見える。

一瞬、再度登って「魔女の瞳」を眺めに行こうかと逡巡するが、結局「山の天気は変わりやすい」という至極一般的な理由で思い留まった。また山頂まで行ってみて、やっぱり見られませんでした、では虚しすぎると思ったからだ。晴れて少し暖かく感じる下山道を、後ろ髪引かれる思いを抱いたまま、僕らは鎌沼湖畔に向かった。

鎌沼は静かな、沼と言うより湖という風情だ。湖畔でお湯を沸かし、カップラーメンを食す。山で食べるご飯は総じて美味い。家で食べるよりも数段上に感じるのは気のせいだけではないだろう。そんなに冷えていないビールですら美味いのだから。

食後、再度一切経山を見上げると、雲の流れは相変わらず速く山頂は見え隠れしているものの、僕らが登った時よりは確実に天気は回復している。アルコールのおかげで気持ちが大きくなっていたのかもしれない。僕は彼女に訊いた。
「もう一回登んない?やっぱり五色沼が見たい」
一人で再登頂も考えたが、二人で眺めたかった。なにせこの旅のメインテーマなのだから。

体力的な観点から最初は難色を示していた彼女がしぶしぶ頷いた。
無理言ってごめんね。ありがとね。

あとは流れ行く雲との競争だった。一日に二回同じ山に登るという、ともすれば気持ちが折れそうになるのを支えたのは、もしかしたら魔女が僕らを呼んでくれていたからかもしれない。再び1948.8mの一切経山の頂に立った時、数時間前あれだけ濃く覆っていた霧はきれいに晴れていた。高鳴る鼓動とともに、僕らは魔女の御前に立った。

万物を引き込むような深い碧さを宿した、おおきな瞳が僕らを見つめた。止まぬ風が身体を打ちつける中、僕らはしばし佇んで言葉を失った。お互いの手をきつく握った。

魔女は悪戯っぽく微笑むと、また気まぐれのように雲の向こうへ消えた。魔女たる所以なのだろう。
前日は五色沼近くのキャンプ場に泊まる。施設も悪くないし、なにしろ安い。バーベキューコンロを忘れたことを除けば、快適なキャンプだった。
朝起きると多少の風はあるものの、うっすらと陽が差し、ここ数日の天気予報が曇りや雨だったことを考えると前途は明るいように思われた。

しかし裏磐梯スカイラインを経由して、浄土平に向かうまでの道すがら、その甘い考えは打ちのめされることとなる。標高が上がるに従い風は強まり、どこからともなく湧き上がる霧はキャンプ道具を満載した僕の車を覆い隠す。浄土平の駐車場に到着した時には、すぐそばにあるはずの吾妻小富士すら、乳白色のカーテンの向こうに姿を消していた。

今回の旅の大きな目的に「一切経山の山頂から五色沼を眺める」があった。得意先の山好きおばさんに薦められたことが大きい。白神山地もその薦めに従い行ってみたら素晴しかった経験があるので、ある程度以上の信頼性があったのだ。

しかし、さすがに今回はこの風と霧で、山を登ることすら危ぶまれる状況にある。近くの情報センターで係りの人に伺うも、天気ばかりはしょうがない、と諦め顔。彼女と相談した結果、とりあえず出発してみて危険ならば引き返そう、ということになった。レインウェアを着込み、湿地帯を歩き出した。

湿地帯を抜け、尾根沿いに進む道は、風の影響をもろに受ける。しかも潅木も少なく、岩と霧のモノトーンで殺風景な光景が延々と続く。この時点で、山頂から「魔女の瞳」「吾妻の瞳」と称される五色沼を望むことがかなり難しいというのは、強風の中でも一歩ずつ歩を進める僕らの暗黙の認識だった。

苦労して登った山頂もやはり一面の白い世界が広がっていた。絶え間なく湧く霧は、風によって入れ替わりながら石を積んだ頂上の碑すらも隠す。当然、瞳の色から魔女のご機嫌を窺うことはかなわない。同様の目的で登ってきたであろう2組の登山者が座って霧が晴れるのを待っており、僕らも15分ほどその場に留まるも、強風と寒さであえなく下山を決めた。

まるで魔女が地獄の大釜で焚く煙のようだ。どんな薬を調合していたかは解らないけれども。

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