小さな手

2011年10月3日 日常
小さな手
何を掴む

小さな足
どこを歩く

小さな目
どんな光が射す

小さな口
どういう夢を語る

小さな耳
小さな鼻
小さな腕

小さな頭

小さな体

小さな命

生まれてきてくれて
ありがとう

気仙沼

2011年8月13日 日常
僕らの日常はあまりにも怠惰で緩慢で、その平凡さをあまりにも当たり前に受容している。マンションの夜景も、燃費の悪いステーションワゴンも、行き詰まりの仕事も、僕らの日常はあまりにも幸福だ。

気仙沼に行った。以前お世話になった人たちを訪ねていったのだが、「被災地」の現状は予想をはるかに超えるものだった。言葉が出ない、写真を撮る気にならない、呼吸すら苦しくなる。僕の網膜に映った南気仙沼駅周辺の街並みは面影ひとつ残さず、まさに壊滅だった。

いや、全てが消えたわけではない。昔大騒ぎしたカラオケ屋さんや立ち読みの常連だった本屋、馴染みのスナックが入ったビルなど、3月11日以前を偲ばせる立ち姿は残る。ただそこに生活感は全くなく、周辺は高潮の影響でいまだ冠水しており、道路はアスファルトが剥がれたのか地盤沈下に伴い盛り土をしたのか、急拵えの砂利道が続く。

南気仙沼駅前の居酒屋「寄り道」は僕の行きつけで、刺身定食と瓶ビール1本が定番だった。他の店で飲んだ後に、シンプル且つ豪華な蟹入り塩ラーメンを食べに来たっけ。お店の人たちは無事だったかな?心配は募る。

確かに実際に見ると、TV越しでは知り得ないリアルを実感する。「空気」と言い換えられるかもしれない。震災後5カ月が経過し、日に日に震災関連のニュースは減っているし、原発、政局、円高etc.とそれこそ濁流のように時間は流れ去り、国民の関心も「被災者」「被災地」とひとまとめにしてしまう傾向を感じる。ただあの廃墟の街並みは現実だし、家族が行方不明だったり、全財産を流された人たちにとっては決して過去の出来事ではなくて、現在進行中の現実なんだと痛感した。

僕は何ができるだろう。あの街を見て、そう考えない人間はきっとどこか神経回路がショートしていると断言できる。被災地を興味本位で見に行くことの是非が議論されるが、それでも現地で何かを感じることができれば、少なくとも有害ではないと思う。少なくとも僕は考え続けている。ふるさと納税?義援金や物資の継続的支援?それとももっと…

最後に。
大谷海岸駅という「海水浴場に最も近い駅」がキャッチフレーズだった駅がある。美しい浜辺で、季節には浜百合が咲き誇っていた。近くの「海洋館」というホテルには何度か泊ったし、併設された道の駅は絶好の昼寝ポイントだった。しかしあの日の午後、海底を押し上げた津波は、海岸を丸ごと飲み込んで美しい砂浜は消失した。

赴任してしばらくの大谷の駐在さんは、家族を高台に避難させた後、津波から住民を逃がすため殉職された。かろうじて残った建物の板には、助かった住民が鉛筆書きで感謝の言葉を記しているそうだ。僕がその文を見たわけではないので、多少の誤りがあると思うがご容赦を。

「千田さん、みんなを守ってくれてありがとうございました。ゆっくりと安らかにおやすみ下さい」

僕もそんな人間になりたい。涙ながらに思った。
合掌。

2011年

2011年1月3日 日常
半年以上放っていたけど、2011年のスタートを機に久々の更新。いろいろあった2010年、後ろを振り返りつつも、やっぱり前を向いて歩いていかなければ。そう思う年始なのでした。

昨年秋にサラリーマンにとっての一大事、転勤で南国鹿児島から大都会東京に。仕事は忙しくなるわ(鹿児島が緩かったとも言えるが…)、趣味のテニスは全然やる機会がなくなるわとQOLが低下した面もあるけど、新たな生活は新鮮な風を運んでくれた。いろんな意味で僕の中身をデフラグできたと思う。

公私とも勝負は今年。仕事は言い訳できない状況になるし、なんといっても人生の一大イベントであるマイホーム購入を検討しているのだ。

東京の家は高い。マンションも建売も高い、いわんや土地をや、だ。自分の身の丈を十分に把握しながら計画的に。高い買い物だけに慎重かつ大胆に。そもそも家を買うことの妥当性から検討する必要があるし、資金面から断念せざるを得ない局面も考えられる。たくさん悩んで、調べて、話を聞いて、考えて、理想に近い家が見つかれば(建てられれば)いいなぁ。

とにかく、人生の折り返し地点とも言えるこの年代。物事を真剣に、でもあまり悲観的にならずに進んでいくのです。

今年の抱負

2010年1月1日 日常
昨年、開門岳に関して書いた中で「10峰登る」と2009年の目標に掲げていて、その検証をしてみた。
1.開聞岳
2.モッチョム岳
3.黒味岳
4.宮之浦岳
5.栗生岳
……
以上です。
縄文杉往復なんかも一峰に数えてくれれば、なんとか過半はクリアしたことになるが、まぁそれでも達成率は60%。赤点ではないものの、とても合格点といえる点数ではない。

んでもって、今年の目標を考えてみた。
「ゴルフ10ラウンド」
「テニス試合10勝(10回優勝というわけではない。あしからず)」
「登山10峰」
との10に関連付けた事項に加え、
「ツーリング九州一周」
文字通り九州一周をしようというもので、海岸沿いの下道をひたすら走る。一週間くらいかかりそうだけど、GWか夏のお盆休みを利用すればなんとかなるんじゃねーかと。

てか、仕事しろよ。

ハロウィン@TDL

2009年10月31日 日常
ハロウィン@TDL
ハロウィン@TDL
TDLには小学生の頃から数えて両手両足では足りず、おそらく50回近く行ったと思われるが、今回の混雑ぶりはTOP3にランキングされる。とにかく人、人、人。それもやはりハロウィン、仮装をした人たちも多く見受けられる。

しかし、仮装している人はなんであんなにイタいのだろう。自覚しているのか、いないのか。確かに似合ってる人もいるが(特に魔女と魔王?の親子連れはカッコよかった)、そうでない人が圧倒的に多い。そしてそういう人たちが闊歩するTDLは一風変わった空気が流れていた。

ま、別にハロウィンなんだから仮装ぐらいいいだろうと思う。でも仮装(コスプレ)すりゃいいってもんじゃないだろう。自己満足の世界なんだと言い聞かせてみても、否が応でも目に入る太ったアリスやムチムチのティンカーベル、全身黄色に塗っただけの痩せぎすのプーさん…痛過ぎる。

クリスマスやバレンタインデーを日本風にアレンジしたように、ハロウィンもそうなっていくのだろうか。子供たちが「Trick or Treat!」と声を上げながらお菓子をもらうシーンは一切見られなかったのはどうなんでしょう。

アトラクションは結局13しか回れなかった。しかもトムソーヤいかだを含めての数だから、いかに混雑していたかがわかるってもんだ。ひとつ大きな失敗をしたのが、ホーンテッドマンションの扱いだった。そんなに混んでねーだろと高をくくっていたら"Nightmare before Christmas"仕様に改装されていて、2時間以上待つはめになった。おまけに車椅子の人を降ろすために、ライドが途中で停車。まあ、おかげで写真が撮れたわけだけど。

イベント時、特に当日に行くもんじゃねぇなと思ったハロウィンでした。

鹿児島のベガサポ

2009年10月29日 日常
鹿児島のベガサポ
を自認しているのだが、今の選手はあんまり知らんし、九州に来て以来試合を観に行ったことがなかった。僕の時計は岩本や財前、マルクスで止まっているのだ。

楽天イーグルスのファンならば九州にも数多くいようものの、ベガルタサポーターとなると数十人、いても三桁を超えることはなかろうと思っていた。しかし10月18日に佐賀のスタジアムにサガンvsベガルタを観に行って、その認識が誤っていることに気付かされた。
 
確かにサガンサポーターに比べると数は圧倒的に少ないが、ベガルタイエローに染まったアウェー席は、一体感と「敵地に乗り込んでいる」という高揚感で埋まっていたのだ。そして試合前のカントリーロード。涙が出そうになった。

試合は結局1-1の引き分けだったけど、アウェーであること、サガンが連勝中で調子よかったことなどを勘案すれば、決して悪い結果ではなかったのかもしれない。ただ佐賀に集結したベガサポの熱気が感じられたのが、なにより嬉しかった。

そして、ベガルタ仙台。
J1復帰、おめでと~~
来年は九州のJ2が盛り上がりそうで、そこでベガルタとの対戦が観られないのは残念だけどね。ま、贅沢な悩みかな。

しかし、もう落ちんで欲しいなぁ。
CS進出を果たし、全日程を終了した段階での解任。確かに常識的に考えれば最大の功労者のクビを切るのは「ありえない」出来事だが、ノムさんも言っている通り「今年はツイていた」のであれば、高年棒と高年齢はネックとなっても仕方ないんじゃないかという気もする。

僕個人の希望はノムさん続投。鉄平や永井、直人や真人が独り立ちしたのは、間違いなくノムさんの眼力に因るところ大だし、山崎の復活もノムさんアドバイスの賜物だろう。弱小、いや超が付く弱小球団をここまで引っ張ってきた功績は大きい。

ただ監督就任時に、おそらく「球団の基礎を作ってくれ」と言われたであろうことは想像に難くない。初年度は無残な状況だったし、田尾さんを切らざるを得なかったのは「チームの底上げができる監督」を招聘しなければ、にっちもさっちも立ち行かないという現実があった。そしてノムさんはそれをやり遂げた。常勝軍団になるかどうかはまた別の問題だけど、少なくとも基礎は作った。阪神でノムさんの後を引き継いだ星野監督が見事優勝を果たしたように、選手の能力を引き出し、チームの礎を築く…それがノムさんの役割だったはずだ。

もちろん球団の対応も悪い。高年棒がネックであるならば、それを正直に言えばよかったんじゃなかろうか。
「私たちの球団の経済状況はこうなっています。今年活躍した選手に最大限報いたいと思うので、監督は申し訳ないですが、これくらいで勘弁してもらいませんか?もちろん来期もノムさんで考えてます」
と言えば、もしその減額オファーを断った際の悪者(世間から見た)は、お金に執着するノムさんになる。カブスが倒産した例もあるし、無い袖は振れないのは道理だから、世間の納得度は高いと思われるのだが。

8割以上のイーグルスファンが続投を望んでいるというアンケート結果もあったけど、僕は新しいイーグルスを見てみたい気もしている。伸び悩んでいる若手、すなわち嶋や朝井、片山なんかも出てくるかもしれない。

スポーツニュースでは大体ノムさんのコメントを大々的に取り上げる。岩隈や田中まーくん以外のイーグルス選手の顔を知っている人は一体どのくらいいるのだろう。それだけ監督が前に出てしまうと、選手たちのアピールの場さえ奪っているような気もするのだが… 

仙台でのCS。九州在住の僕らのためにも、熱い声援をお願いします。勝って、あわよくば優勝して、諸解説者の鼻を明かしたいもんだ。

永井くん…

2009年10月8日 日常
今日(もう昨日か)勝って、CS2位通過マジック1になりました。永井が3安打0封、文句の付けようがありません。でもね、鹿児島県民の僕がKスタに嬉々として足を運んだあの夏の試合…

1回表にスコンスコン打たれて0-6。バックネット裏で意気揚々と手羽先(当然テバサキタケシね)と生ビールを買い込んだけれど、その泡が消える間もなく勝敗が決したあの日。なんとか追いすがったけど、結局8-15で負けたあの日。まぁそんな試合も経験しつつ、いや、したからこそ2位目前まで来れたということも言えるけど、遠く2000km近くを飛んできた僕の前でわざわざやらんでも…ねぇ、永井くん。

早く決めてね。SB戦まで持ち越ししないように、とっとと決めて下さい。福岡でCS開催なら、もしかしたら観に行けるかなぁなんて思っている九州の楽天ファンの淡い希望を、さっさと打ち砕いて下さい。

ん、永井くんは僕が観に行った試合以降は負けてないんじゃない?ちなみに自分観戦のイーグルスの試合は、今まで勝ったことがありません。

もう今年は観に行かないから!
頑張れ!イーグルス!

バンザイ!

2009年10月3日 日常
勝ったぁ。CS進出だぁ。仙台にチームが来て5年、まずはひとつの目標を達成したとも言えるのかな。CSに出られなきゃ、その上は全く手が届かないのだから。

今年は本当に面白い試合をしてくれる。選手とノムさんに感謝です。先発の柱が岩隈だけじゃなくて、田中と永井が出てきたこと、4番に山崎が固定されたこと、鉄平・草野がバットマンレースの上位にいること、抑えはなかなか確たる存在がいないけれど、福盛やら小山やら(序盤には青山やグゥインもしてたよね)がなんとか踏ん張ってくれたこと、それ以外にもやっぱり試合に出てた全ての選手が上手に絡み合った結果なのだろう。

確かにCSは仙台でやってもらった方がいいんだけど、福岡ドームで応援する楽しみは失われるな…痛し痒しとは、まさにこんな状態だねえ。

ま、今日は祝杯だ。イーグルス、バンザイ!

決戦の秋

2009年9月29日 日常
ってタイトルで、最近のイーグルスについて徒然書いていたら、2回消えた…もう一度書きなおす気持ちは萎えてしまったので、ソフバン4連戦が終わってから書こうと思います。その時にはおそらく趨勢は決まっているだろうからさ。

金曜日の夜、美味しいお酒が飲めますように。
頼むぜ、「ツイン安打製造機」鉄平・草野、「不惑のジミーちゃん」山崎、「俺に続け」リンデン、「右だけ3本柱」岩隈・田中・永井、「影薄いけど、ボク左」藤原、「タナボタでも勝ちは勝ち」福盛、「そのサングラスはホントに必要か?」小山、「きっと」直人、「なんと」真人、「弱り目に」有銘、「痔には」セギノール、みんなみんな頑張れ。

仙台は燃えているんだろうなぁ。羨ましい。

飲んだぁ

2009年5月23日 日常
仕事が終わった開放感からか、かなり飲みました。

まず立食の懇親会でビールを数杯。

次に「吾愛人」(わかなと読みます。名付け親は椋鳩十です)本店で二次会。県外からのお客様?もいたので、きびなごやら黒豚やらを食す。

よく盛り上がったところで、「焼酎天国」に移動。当然ここでも美味しい焼酎をいただきます。

んで、上司からの呼び出しに応えて、あるクラブに馳せ参じます。ええ、上司の命令には従うのがサラリーマンの性ですからね。そろそろ、この辺から記憶が曖昧になっているのは否定できません。そこで得意先の人の股間を触っていたらしいのですが。マジで?どうやらマジらしい。

そのお店を後にして、焼酎バーに立寄ったような、立寄らなかったような・・・

もう歳なんだろうな、きっと。最近とみに記憶が飛ぶんだよねぇ。

脱出!

2009年3月13日 日常
悪い予感はしていた。なにせ風と雨が荒れ狂う音で、その夜は何度も目を覚ましたくらいだったから。前日は青空が顔を見せ、愛子岳もきれいに見えた。その好天が嘘のように、夜半にはすっかり荒天の様相を呈してきた。

民宿を出る頃には、大粒の雨と強い風で傘が役に立たないくらいの状況。この天気じゃ飛行機が欠航するんじゃなかろうかと不安が募る。僕は第二便を予約していたが、ちょうど第一便が屋久島にやってくる時間だったので、飛行場に様子を見に行ってみた。

飛行機の姿は見えないが、雲の中からボンバルディアQ400のエンジン音が聞こえてくる。着陸のタイミングを計っているのかもしれない。駐車場に車を停め、雨に濡れながら空港のロビーに入ると、ちょうど滑走路に滑り込んだ機体が目に入った。余程のことがない限り、着陸できて離陸できないという事態はないらしい。すると、この便に乗れば確実に鹿児島に帰れるのだが・・・

まだ仕事が残っていた。その仕事を終わらせるためにわざわざ宿泊をしたのに、ここでキャンセルするのはなんとももったいない。しばらく逡巡したのち、予定通りに第二便で帰る選択をした。もちろん次の飛行機が降りられなければ、この選択は誤っていたことになる。

多少後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、車を宮之浦方面に走らせる。切り替えて仕事しなきゃ。15分くらい走って宮之浦の町に入ると、なんと空港であれだけ降っていた雨が一滴も落ちていない。路面は濡れてすらいない。屋久島の気候は変わりやすいと聞かされていたが、まさかこれだけの距離(10kmくらい?)でここまで違うのかと正直驚いた。しかし、この天気を見て「帰れるかな?」と心配していた僕の心の天秤は、ぐぐっと楽観寄りに傾いた。

それを一気に悲観側に戻したのは、種子島に出張している同僚からのメールだった。
「海が荒れていて(鹿児島までの)高速船は本日全便欠航」
屋久島と種子島は隣接しているので、種子島の船が出ないとなると自動的に屋久島もアウト。
なに?するってぇと、もし飛行機が飛ばないと帰る手段がなくなるってことじゃねぇか。明日は重要な出張があって、しかも朝一番に東京に飛ばなければならないのに。この島に閉じ込められるかもしれないという恐怖がむくむくと湧き上がってきた。

出発予定時刻の30分前に空港に戻ると、宮之浦の穏やかさが嘘のように相変わらず雨風が吹き荒れている。心配そうな顔をした人たちで狭い空港ロビーは溢れていた。きっと僕も同じような表情をしていたことだろう。チェックインカウンターでは係りの人が「鹿児島空港を出発した飛行機が着陸できなければ欠航になります」とのセリフを繰り返している。まぁそれしか言いようがないのだろうけど、「飛びますよ」という言葉が聞けないのはなんとも心細い。

待つこと15分。ごった返して騒々しいロビーでも、はっきりとエンジン音が聞こえた。
来た!頼む、降りろ、降りてくれ。

気付くと双発の機体は駐機場にあって、周りを地上クルーが取り囲んでいた。あのエンジン音は着陸の際の音だったのかもしれない。僕は安堵の溜め息をついて、小さくガッツポーズをした。グッジョブ、パイロット!ネットで運行状況を確認していた同僚からは「おめでとう」メールが送られてきた。帰れるんだ、これで帰れるんだ。

飛行機に乗って窓の外を見ると、いまだ大きな雨粒と横殴りの風が機体と滑走路を叩いている様子がわかる。しばらくしてするすると飛び立った飛行機の中、僕はまるで孤島から脱出する映画の主人公のような気分で眼下の島を見下ろした。すぐに雲に入って見えなくなってしまったけれど、いつもの島を離れる時とは違う感慨を抱く。

ちなみにこの日、高速船は全便、飛行機は一便欠航した。かわいそうに同僚は翌日帰ってきた。「島に行くこと=帰れなくなる可能性」というリスクを考えさせられた出来事だった。

雛人形狂想曲

2009年2月11日 日常
ここまで迷うとは思っていなかった。

雛人形を扱うお店を回ること3店舗。最終候補に残ったのは2つだったけど、いいものを見るとやはり心が動く。

特に「薩摩雛」と呼ばれるオーダーメイド的な作品は、花を挿す花瓶が白薩摩で造られていたり、ディテールにこだわった逸品だった。しかし、やはりお値段もしっかりしていて、僕の1ヶ月分のお給料がそっくり消えるほどのもので、いくら縁起物と言っても正直しんどい。飾る期間も限られているのにね。3月3日を過ぎると「さっさと片付けろ」と言われるのにね。

結局残った最終候補2つは、住環境も考慮してお内裏様とお雛様のみが並ぶタイプ。ひとつは人形が大きく、着物も華やかな色合いで豪華絢爛といった風情。もうひとつはいわゆる作家もので、「優雛」と称される丸みを帯びたふくよかな顔が特徴。ただし地味で人形も小さく、少しこじんまりとした印象を受ける。

そうそう買うものではないので相場もわからん上に、「一生物ですよ」なんてささやかれると少々値が張ってもいいかな、なんて気持ちになってしまう。危険だなぁ、雛人形店。「ここで売らなきゃ、いつ売るんだ!」という店員さんの気合も大層重い。

確かに実感したのは、親や祖父母のパワー。世の中不景気って言ってるけど、ホンマかいな。軽く散財していく人たちに、そら恐ろしさすら感じてしまう。

僕らは悩んだ挙句、第一印象を尊重して「優雛」にした。小さくても素朴な雰囲気が気に入ったのと、一般的な「雛人形」という範疇からは多少外れているオリジナリティが決め手となった。お値段は「薩摩雛」の3分の1程度。それでも十分「お高め」の部類に属するのかな。

さて、まだ物心つかない我が娘は、このお雛様を見てなんと思うだろう。例えばお金持ちの友人宅で、豪勢な7段飾りとかを目にしないことを祈るが、それでもこの小さな人形を「味があっていいね」と言うような子に成長して欲しいと思うのは、はたして親のエゴでしょうか?

だって「シックで飽きがこないデザインですよ」と店員さんが言ってたんだもん!

なんてね。

世界一美しい街

2009年2月6日 日常
鹿児島には国際姉妹都市がある。長沙、マイアミ、ナポリ、そしてオーストラリアのパース。鹿児島市内をのんびり走る市電には、それらの都市名を車体にプリントしたものがあり、その内のひとつ「パース」バージョンでは「世界一美しい街」というキャッチフレーズが躍っている。

しばしば見かけるその文字に、僕は心の底に沈殿した澱がゆっくりと掻き混ぜられるのを自覚する。世界一美しいその街に行ったことはないが、僕にとって「パース」は世界地図の上の一都市ではない。

大学卒業間近の2月下旬、寝ていた僕は一本の電話で起こされた。母が取った電話が部屋の子機(当時は携帯がなかった)に繋がった。声の主は同じ専攻のタロウで、夜の海のように重苦しい声でこう告げた。
「ヒロシが死んだ」

寝起きの状態だったし、あまりに現実味のない話に僕は事態を全く把握できなかった。徐々に涙声になってきたタロウによると、卒業旅行に行っていたヒロシが事故で亡くなったらしい。性質の悪い冗談ならばよかったが、現在高校教師をしているタロウは残念ながら至極正直でまじめなヤツだった。

その日の行動はよく覚えていない。帰宅したのが翌朝で、音もなく雪が降っていたことだけは鮮明に記憶している。なにがなんだかわからなかったのだろう。

ヒロシは中学からの友人で、大学まで同じ道を歩んだ言わば腐れ縁。互いの家に泊まったり、旅行したりと行動を共にすることが多く、「親友」と言うより「親族」のようなイメージだった。二人して徹夜でPCゲーム「太平洋の嵐」に没頭し、画面上に来襲する米艦隊をことごとく撃退して快哉を上げていた。
人懐こい丸顔に常に笑顔をたたえ、誰からも好かれていたと思う。何でも器用にこなすので、僕はそんなヒロシが羨ましかった。大学に入り、それぞれ活動する領域が分かれてからはさすがに疎遠になったが、キャンパスで会えば当然のように会話が始まる仲に変わりはなかった。

ヒロシは旅サークルに入っていて、卒業旅行はオーストラリアを自転車で旅するという学生時代にしかなしえない冒険を選択した。そしてパース郊外を走行中、無免許の少年が運転する車にはねられた。

その場で救助活動をしてくれた人たちに対して、最期に「Thank You」と言ったというエピソードは、なんだかでき過ぎな気もするけど、ヒロシなら言うかもなとも思う。突然中断された人生に対して、怨嗟じゃなくて感謝の言葉が出るあたり、お人よしなヒロシなら「さもありなん」かもな。

僕とタロウは、葬式で弔辞を読むことになった。僕はお互い好きだった三国志の登場人物である曹殖の詩を詠んだ。今にして思うと、自分自身の言葉で送ってやれなかったことが悔やまれる。いろんな意味で僕は混乱していたし、友人を見送るには幼すぎたのだ。

社会人になった僕はパースの姉妹都市の鹿児島にいる。ヒロシが好きだった近鉄バファローズもなくなり、時間の経過と共に彼の思い出は薄れていくけれど、「パース」の文字を見るたびになにか因縁めいた繋がりを感じる。

そう、世界一美しい街でヒロシは死んだのだ。

あれから14年の歳月が過ぎた。
もう歳を取らないヒロシは、中年にさしかかり頭頂部が寂しくなった僕を見てなんて言うだろう?「悠久」と刻まれた墓碑に、今度尋ねてみよう。


仕事納めのお約束

2008年12月26日 日常
今年の仕事は今日でおしまい。会社で納会をして、みんなで天文館に飲みに行くのだ!ほぼ毎年のお約束ですから。

繰り出した時間が早かったので、まずはボーリング。イマイチ、ジョー、ブチョーとカチョーホサ(僕)の4人で、いざ。4ゲーム+貸し靴で1,300円というリーズナブルさが嬉しい。時間つぶしとストレス解消にはもってこいだけど、普段やり慣れていないと腕が痛くなるのが玉に瑕かも。

納会で飲んだビールの酔い吹き飛んだ4ゲームの結果は、157・129・130・143・・・
年末だし、もっと華々しいスコアを出したかったのですが・・・所詮こんなもんです。

さて、じゃあ飲みに行くべ。ってことで、ネオン煌く夜の人口密集地帯に足を踏み入れる。しかしまぁ、考えることは皆同じで、天文館は人・人・人。一人増えて5人になった僕らは、片っ端からお店を覗くもどこもいっぱいで入れない。各店に斥候を放ち、偵察してみても結果は同じ。行き場を失くした男5人組は路傍の作戦会議で、
「22時半前後という時間帯はちょうど入店直後で、回転するまでしばらく時間を置いたほうがいい」
という結論を導き出した。

そしてラーメン屋さんへ。ここでビールを飲み、ボーリングで抜けたアルコールをひとまず補充。お腹も満たされたところで、再びネオンの海にいざ!

ただ芸がない我々は、一周目で一蹴されたお店に再度突撃するという旅順攻略戦のような歩兵反復攻撃を繰り返した。そしてついに、ちょうどお客さんが入れ替わるのと同時にお店に入ることに成功。かくして焼酎ボトルの橋頭堡が築かれたのであった。

そこからは一年の憂さを晴らすように、しゃべり続け、飲み続け、一軒では飽き足らず、カラオケのあるお店に移動し、そこで飲み、歌い、また飲む・・・
最近ここまでバカ騒ぎをする機会はなかったので、みんなと飲めて楽しかった。この地で一緒に働くというのも何かの縁、そんな縁だからこそ大切にしたいもんだ。

翌日は案の定、二日酔いだったけど、もう来年まで仕事はないもんね。

9年ぶり

2008年12月7日 日常
9年ぶりに母校がワセダを下したそうだ。本来ならば祝杯を挙げるべき出来事なのだけど・・・現役の学生は、今頃歌舞伎町で騒いでいるのかな?

すでに4敗を喫していて、大学選手権にも出られない。正月2日にテレビ観戦する楽しみはもうない。ワセダを破ったことで、最後の意地を見せたことは確かだろう。でも素直に喜べないのは、早明戦がプラチナチケットであった時代を知る人間が、そのイメージを今も有しているからなのかな。

ただ対抗戦の全体的なレベルが上がったことに起因するかもしれないが、ここ数年母校の力が凋落している事実も否定できないだろう。それは卒業からの時間がそうさせるのか、選手の名前は誰一人知らない。常勝とまでは言わないが、OBが毎年興味を持って観戦できるくらいの力を見せてほしい。

来年の今頃は、ビールを片手に気持ちよく酔っ払いたいもんだ。
いろいろありました。
相変わらず焼酎を飲み続ける生活です。
テニスの回数は減少、それに伴っておそらく腕も落ちてるかなぁ。
放置していたイカのバッテリーは完全に干上がって、現在車検を兼ねて入院中です。
ドカは後輩に譲ろうかと考え中。愛しのイエモンを手放せるのか、自分でもよく分かりません。
先天性股関節脱臼という言葉と、リーメンという装具を知りました。
最近、知り合いが亡くなりました。
別の知り合いのお母さんが亡くなりました。

過ぎ行く歳月の容赦ないスピードに、半ばビビリ、半ば納得しつつ、今日も僕はしぶとく生きています。

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