Good Morning SHANGHAI
2008年1月5日 旅行
上海と日本の時差は1時間。空港に着いた時に時計の針を一周戻した。ただ九州からの距離を考えると、上海よりも東京の方が遠いのだから、なんだか不思議な気もする。だったら九州も時差導入してもいいんじゃないのかね。
当然「時差ぼけ」なんて感じることもなく、僕らは上海の朝を迎えた。ホテルの37階から眺める上海の街並みは、見渡す限りのビルの群れ。雲ひとつない晴天だというのに、遠くが霞んで見えるのは大気汚染のせいか、乾燥した大陸の気候のせいか。
さすがは高級ホテル、朝食のバイキングは品数が豊富な上に、めちゃめちゃ旨い。特にパンが絶品。メタボを気にしながらも、僕のお皿の上にはてんこ盛りの料理が並ぶこととなった
Good Morning上海。
かつての「東洋の魔都」は1800万人の鼓動と共に目を覚ました。今日も僕らは喧騒の街を歩く。
当然「時差ぼけ」なんて感じることもなく、僕らは上海の朝を迎えた。ホテルの37階から眺める上海の街並みは、見渡す限りのビルの群れ。雲ひとつない晴天だというのに、遠くが霞んで見えるのは大気汚染のせいか、乾燥した大陸の気候のせいか。
さすがは高級ホテル、朝食のバイキングは品数が豊富な上に、めちゃめちゃ旨い。特にパンが絶品。メタボを気にしながらも、僕のお皿の上にはてんこ盛りの料理が並ぶこととなった
Good Morning上海。
かつての「東洋の魔都」は1800万人の鼓動と共に目を覚ました。今日も僕らは喧騒の街を歩く。
この写真では確認できないけれど、中国の狛犬はなぜか珠を口に含んでいるものがいる。ラムネのビー玉よろしく、口の中からは決して取り出せないような仕組みになっている。他のグループに説明しているガイドさんの言葉に耳を傾けると、どうやら口の中で珠を彫ったようだ。
ただでさえ正しい球体を彫り上げるのは至難の業であろう。それを極めて限定されたスペースでやってのける古の人々の技術と根気に脱帽する。
なぜ珠を入れたか、なんて話もガイドさんがしていたような気もするが、いまひとつ記憶がない。なにかご利益があるような、ないような・・・そんな不思議な狛犬を発見したことで、僕のテンションはなぜか上昇していくのでありました。
ただでさえ正しい球体を彫り上げるのは至難の業であろう。それを極めて限定されたスペースでやってのける古の人々の技術と根気に脱帽する。
なぜ珠を入れたか、なんて話もガイドさんがしていたような気もするが、いまひとつ記憶がない。なにかご利益があるような、ないような・・・そんな不思議な狛犬を発見したことで、僕のテンションはなぜか上昇していくのでありました。
黒光りする像はどこか憂いを含み、ロダンの「考える人」に匹敵するような「思慮深き狛犬(?)」の風情を醸し出す。足元に踏みつけているのは自らの子供であろうか、厳しく躾けるかのような、そして一見非情にも見える様は、大切な何かを忘れ去った現代人に問いかける。
・・・大げさかな?
上海2日目に訪れた豫園(よえん)に鎮座していた狛犬。いや、そもそもこれが狛犬と定義されるものなのかはよくわからないものの、なんとも言えない風情があったのでファインダーに収めてみた。撮影する角度にも依るだろうけど、何かを考えているように思えるのは気のせいだろうか。
いや、子犬に優しく手を添えて、全てを抱擁するかのような仕草なのかもしれない。見ようによっては暖かみすら感じてしまう。深い、深いぞ、上海の狛犬。
・・・大げさかな?
上海2日目に訪れた豫園(よえん)に鎮座していた狛犬。いや、そもそもこれが狛犬と定義されるものなのかはよくわからないものの、なんとも言えない風情があったのでファインダーに収めてみた。撮影する角度にも依るだろうけど、何かを考えているように思えるのは気のせいだろうか。
いや、子犬に優しく手を添えて、全てを抱擁するかのような仕草なのかもしれない。見ようによっては暖かみすら感じてしまう。深い、深いぞ、上海の狛犬。
僕らが宿泊したホテルは「The Regent SHANGHAI」。中国語表記だと「上海龍之夢麗昌酒店」(実際は簡体字だけど)となる。多少上海中心地から離れているものの、2005年に建てられたばかりの5つ星ホテルだ。ガイドブックによると正規料金は1泊3,500元(日本円で約53,000円)から。写真はロビーから見た吹き抜けだけど、あまり豪勢過ぎない控えめなところもいい。
部屋に入ると、その広さにまず感嘆した。中心にツインベットが余裕を持って置かれ、モノトーンを基調としたシンプルな内装が更にゆったりとした印象を与える。インテリアもシノワ調の落ち着いたもので、毒々しさは微塵も感じられない。
バスルームがガラス張りでびっくり。これは後で遮蔽することができることが判明したが、バスルーム内部のシャワーブースとトイレは丸見え。まぁ日本の旅館じゃなし、バスルームとトイレが同一なのには不思議はないんだけど、トイレに扉が付いていないことは少し落ち着かない。
37階から見下ろす上海の夜景も美しい。逆に龍のようにそびえ立つこのホテルの姿も美しいだろう。経済発展著しい上海において、数多くの高層の龍が天に向かって伸びている。その先にある何かに咆哮するかのようにも見えるし、決して届かぬ天上への無駄なあがきのようにも見える。
さて、輝く龍の群れはどんな夢を見ているのだろう。
部屋に入ると、その広さにまず感嘆した。中心にツインベットが余裕を持って置かれ、モノトーンを基調としたシンプルな内装が更にゆったりとした印象を与える。インテリアもシノワ調の落ち着いたもので、毒々しさは微塵も感じられない。
バスルームがガラス張りでびっくり。これは後で遮蔽することができることが判明したが、バスルーム内部のシャワーブースとトイレは丸見え。まぁ日本の旅館じゃなし、バスルームとトイレが同一なのには不思議はないんだけど、トイレに扉が付いていないことは少し落ち着かない。
37階から見下ろす上海の夜景も美しい。逆に龍のようにそびえ立つこのホテルの姿も美しいだろう。経済発展著しい上海において、数多くの高層の龍が天に向かって伸びている。その先にある何かに咆哮するかのようにも見えるし、決して届かぬ天上への無駄なあがきのようにも見える。
さて、輝く龍の群れはどんな夢を見ているのだろう。
浦東空港に到着。ちょっと心配だった入国審査も難なく終わり、JTBのツアーデスクに向かった。日本の空港と比べると少し暗い感じもするが、十分近代的な空港である。たった1時間半で到着したということ、周囲にいる人間は言葉は違うものの、同じ東洋系であるという事実。まだこの時点では、自分たちが海外にいるという実感が湧いてこないのも無理はない。
ツアーデスクで名前を確認されると、
「この人に付いていって下さい」(ガイドの流暢な日本語)
と言われる。その人は運転手らしいが、付いていくのは僕ら2人のみ。どうやら僕らと同じホテルに泊まる客はいないようだ。運転手さんは何も話さず、ずんずん先に進んで行き、駐車場内に停めてあった水色のタクシーを指差した。これでホテルまで送ってもらえるらしい。マイクロバスのような送迎を予想していたので、なんかVIP待遇みたいで嬉しい。
空港を出ると、すぐに高速道路に入った。片道3車線の立派な道路で、田舎道に造ってあるからか殆どカーブがない。また左側走行に慣れきった頭が右側走行に順応するまで時間がかかり、少し戸惑う。左の車窓からは、リニアモーターカーの軌道と思われる高架があるし、さて、ゆっくりと景色でも・・・なんて思っていたら、僕らのタクシー(VWのSANTANAだったと思う)がものすごい動きを見せ始めた。
まずスピードが速い。メーターははっきり見えなかったが、おそらく軽く120km/hは超えているだろう。それでいて車間距離はとらない、遅い車がいると容赦なくパッシングを浴びせる、少しでも間が空くとウィンカーも出さずに割り込む・・・。自然と身の危険を感じ、体が硬直していく。それにしてもすごい運転だ。VIP待遇なんていう期待は、日が落ちて空と地面の境界が不明瞭になりつつある上海の薄暮に消えた。
後からほとほと実感することになったが、タクシーの運ちゃんに限らず上海の、こと運転マナーに関しては「悪い」ランクが妥当であろう。パッシングの嵐、クラクションの嵐が吹き荒れて、気付くと高速道路はにわかにレース場と化していた。
ツアーデスクで名前を確認されると、
「この人に付いていって下さい」(ガイドの流暢な日本語)
と言われる。その人は運転手らしいが、付いていくのは僕ら2人のみ。どうやら僕らと同じホテルに泊まる客はいないようだ。運転手さんは何も話さず、ずんずん先に進んで行き、駐車場内に停めてあった水色のタクシーを指差した。これでホテルまで送ってもらえるらしい。マイクロバスのような送迎を予想していたので、なんかVIP待遇みたいで嬉しい。
空港を出ると、すぐに高速道路に入った。片道3車線の立派な道路で、田舎道に造ってあるからか殆どカーブがない。また左側走行に慣れきった頭が右側走行に順応するまで時間がかかり、少し戸惑う。左の車窓からは、リニアモーターカーの軌道と思われる高架があるし、さて、ゆっくりと景色でも・・・なんて思っていたら、僕らのタクシー(VWのSANTANAだったと思う)がものすごい動きを見せ始めた。
まずスピードが速い。メーターははっきり見えなかったが、おそらく軽く120km/hは超えているだろう。それでいて車間距離はとらない、遅い車がいると容赦なくパッシングを浴びせる、少しでも間が空くとウィンカーも出さずに割り込む・・・。自然と身の危険を感じ、体が硬直していく。それにしてもすごい運転だ。VIP待遇なんていう期待は、日が落ちて空と地面の境界が不明瞭になりつつある上海の薄暮に消えた。
後からほとほと実感することになったが、タクシーの運ちゃんに限らず上海の、こと運転マナーに関しては「悪い」ランクが妥当であろう。パッシングの嵐、クラクションの嵐が吹き荒れて、気付くと高速道路はにわかにレース場と化していた。
値段中心に決めた海外旅行。正月休みの日程で、五つ星ホテル+往復の飛行機で3泊4日7万弱はお得でしょ、てことで、行ってきました上海へ。
あまり予備知識がなかった。今、ものすごく発展している都市、上海蟹、西欧風の歴史的建造物・・・そんなもんだ。東洋史を専攻していた僕にとって、北京や西安ほどそそられる場所でもない。
福岡空港から2時間弱で、上海浦東国際空港に到着する。初めての中国。予備知識はなくてもテンションは上がる。機内モニターではゲームができたので、迷わず「上海」を選択。初級をクリアしたところで着陸態勢に入った。
徐々に高度を落とすと、田園風景の中に街並みが見えてくる。とんがり屋根の家と、車が殆ど走っていない農道、黄土色の大地。この空港は田舎にあるのか、ビルが建ち並ぶ大都会上海とは違う一面をいきなり見せ付ける。
さあ、上海では何が待っているのか。否が応にも高まる期待と共に、僕らは大陸の大地に降り立った。
あまり予備知識がなかった。今、ものすごく発展している都市、上海蟹、西欧風の歴史的建造物・・・そんなもんだ。東洋史を専攻していた僕にとって、北京や西安ほどそそられる場所でもない。
福岡空港から2時間弱で、上海浦東国際空港に到着する。初めての中国。予備知識はなくてもテンションは上がる。機内モニターではゲームができたので、迷わず「上海」を選択。初級をクリアしたところで着陸態勢に入った。
徐々に高度を落とすと、田園風景の中に街並みが見えてくる。とんがり屋根の家と、車が殆ど走っていない農道、黄土色の大地。この空港は田舎にあるのか、ビルが建ち並ぶ大都会上海とは違う一面をいきなり見せ付ける。
さあ、上海では何が待っているのか。否が応にも高まる期待と共に、僕らは大陸の大地に降り立った。
種子島門倉岬から宇宙センターに向かう途中に「ドラメルタン号漂着の碑」がある。鉄砲伝来とは全く関係がないのだが、難破したイギリス船を救助した場所とのこと。ちなみに、その時乗組員を厚くもてなした御礼に貰い受けた鶏が、名物「インギー鶏」になっているらしい。へ〜、としか言いようがない。
漂着の碑はオートキャンプ場を併設した立派な公園の中にある。キャンプしていた人は誰もいなかったが・・・。ただそこは普通の公園ではなかった。忽然と、この南の島種子島にスキー場が存在していたのだ。
草スキー場とでも言うのだろうか。小山の一角に緑の人工芝が張り詰めてある。ここをダンボールなどをお尻に敷いて、一気に滑り落ちる趣旨のものらしい。
準備よく丈夫な段ボールも用意されている。やれってことだよな、こりゃ。嫁が見ているという見栄もあって、厚手の段ボールを手に、僕は小山の階段を一歩一歩登り始めた。
スキーやボードをやっている時にもしばしば感じることだが、下から見たら大したことがない斜面でも、上に立ってみると断崖絶壁に思えることがある。今回もそう。いざ段ボールの急造ソリに跨ると、むくむくと恐怖心が芽生えてきて、なかなか踏み出す足に力が入らない。
いざ進み始めてちょっと角度がついたところに進んだ時点でも、人工芝との摩擦係数が高いためかスピードはつかない。しかし体重73kgの身体と重力との共同作業で、徐々に加速度が上がってくる。当然、斜面の中盤から後半にかけては、段ボールが破れんばかりの勢いがついていた。
砂を巻き上げてゴール。あまり使われていないのか、ゴール地点には少し砂が溜まっているし、多少余裕をもって作られているにせよ、どんな素人が見ても「危険なのはここ!」と指摘可能な場所になっている。ま、無傷だったけど怪我人の1人や2人は簡単に製造できるだろう。
でも楽しい!危険なゴール地点も、スニーカーに砂が入り込んだ程度の被害で済んだ。「写真撮り損ねた」とのたまう彼女のリクエストに応える形で、再度滑走。怖いことは怖いけれど、初回に比べるとだいぶ心に余裕を持って臨んだことは言うまでもない。
この場所に草スキー場(ソリ場?)を造る神経は未だによく解からない。まあ、楽しかったからOKにしときますか。ガイドブックには載ってない、スリルスポットであることは保証します。
漂着の碑はオートキャンプ場を併設した立派な公園の中にある。キャンプしていた人は誰もいなかったが・・・。ただそこは普通の公園ではなかった。忽然と、この南の島種子島にスキー場が存在していたのだ。
草スキー場とでも言うのだろうか。小山の一角に緑の人工芝が張り詰めてある。ここをダンボールなどをお尻に敷いて、一気に滑り落ちる趣旨のものらしい。
準備よく丈夫な段ボールも用意されている。やれってことだよな、こりゃ。嫁が見ているという見栄もあって、厚手の段ボールを手に、僕は小山の階段を一歩一歩登り始めた。
スキーやボードをやっている時にもしばしば感じることだが、下から見たら大したことがない斜面でも、上に立ってみると断崖絶壁に思えることがある。今回もそう。いざ段ボールの急造ソリに跨ると、むくむくと恐怖心が芽生えてきて、なかなか踏み出す足に力が入らない。
いざ進み始めてちょっと角度がついたところに進んだ時点でも、人工芝との摩擦係数が高いためかスピードはつかない。しかし体重73kgの身体と重力との共同作業で、徐々に加速度が上がってくる。当然、斜面の中盤から後半にかけては、段ボールが破れんばかりの勢いがついていた。
砂を巻き上げてゴール。あまり使われていないのか、ゴール地点には少し砂が溜まっているし、多少余裕をもって作られているにせよ、どんな素人が見ても「危険なのはここ!」と指摘可能な場所になっている。ま、無傷だったけど怪我人の1人や2人は簡単に製造できるだろう。
でも楽しい!危険なゴール地点も、スニーカーに砂が入り込んだ程度の被害で済んだ。「写真撮り損ねた」とのたまう彼女のリクエストに応える形で、再度滑走。怖いことは怖いけれど、初回に比べるとだいぶ心に余裕を持って臨んだことは言うまでもない。
この場所に草スキー場(ソリ場?)を造る神経は未だによく解からない。まあ、楽しかったからOKにしときますか。ガイドブックには載ってない、スリルスポットであることは保証します。
サンタクロースはロケットに乗って
2007年12月24日 旅行
クリスマスイブ。JALのクリスタル会員をゲットするため、ただ搭乗回数を稼ぐためだけに種子島に飛んだ。僕は今年2回目、彼女は初めての種子島だ。
あいにくの曇り空も、さすがに気温は高い。レンタカーを借りて、まずは鉄砲伝来の地、門倉岬を目指す。サトウキビ畑に囲まれた、信号が殆どない道をマーチが走る。
門倉岬もパンフレットに掲載されている観光名所。のはずなのに、そこには誰もいない・・・。ま、イブの日に鉄砲伝来について思いを巡らす人間は、そういないということでしょう。ただ断崖の岬に叩きつける波は高く、時代を切り開いた新兵器の威力を感じさせるに充分な力強さがあった。
次に種子島の一大観光地、ロケットの打ち上げ場に向かう。実は「宇宙科学技術館」にちらっと寄って、ちょうど干潮の「千座の岩屋」に行こうと考えていたくらい、あまり期待はしていなかったのだが・・・
ロケットのエンジンや人工衛星などを眺めていると、ものすごくテンションが上がってきた。「宇宙」というキーワードやメカニックに対して、やはり男の子的な憧憬があるのだろう。さっさと移動する予定が、バスで周る宇宙センターのツアーまで申し込むに至る。
宇宙科学技術館はやや冗長な感じもしたが、展示物が充実していて楽しめた。場内見学ツアーも発射台のすぐそばまで連れて行ってもらえて満足。特に案内役のJAXA(宇宙航空研究開発機構)職員のお姉さんの滑舌いいトークが素晴らしかった。
蒼い空と海が見られたらもっと良かったのかもしれないけど、種子島は結構楽しめました。美味しい焼酎もあるし、JAXAの月とサーファーの怪しいTシャツは、自分へのクリスマスプレゼントになりましたとさ。
あいにくの曇り空も、さすがに気温は高い。レンタカーを借りて、まずは鉄砲伝来の地、門倉岬を目指す。サトウキビ畑に囲まれた、信号が殆どない道をマーチが走る。
門倉岬もパンフレットに掲載されている観光名所。のはずなのに、そこには誰もいない・・・。ま、イブの日に鉄砲伝来について思いを巡らす人間は、そういないということでしょう。ただ断崖の岬に叩きつける波は高く、時代を切り開いた新兵器の威力を感じさせるに充分な力強さがあった。
次に種子島の一大観光地、ロケットの打ち上げ場に向かう。実は「宇宙科学技術館」にちらっと寄って、ちょうど干潮の「千座の岩屋」に行こうと考えていたくらい、あまり期待はしていなかったのだが・・・
ロケットのエンジンや人工衛星などを眺めていると、ものすごくテンションが上がってきた。「宇宙」というキーワードやメカニックに対して、やはり男の子的な憧憬があるのだろう。さっさと移動する予定が、バスで周る宇宙センターのツアーまで申し込むに至る。
宇宙科学技術館はやや冗長な感じもしたが、展示物が充実していて楽しめた。場内見学ツアーも発射台のすぐそばまで連れて行ってもらえて満足。特に案内役のJAXA(宇宙航空研究開発機構)職員のお姉さんの滑舌いいトークが素晴らしかった。
蒼い空と海が見られたらもっと良かったのかもしれないけど、種子島は結構楽しめました。美味しい焼酎もあるし、JAXAの月とサーファーの怪しいTシャツは、自分へのクリスマスプレゼントになりましたとさ。
松林の海岸からは遠くぼんやりと桜島を眺め、錦江湾は柔らかい波を砂浜に寄せる。篤姫が幼少時に過ごしたとされる今和泉島津家の別邸は、そんな穏やかな土地にあった。
鹿児島にやってきた両親の希望で、篤姫の足跡を辿る小旅行に出かけた。指宿市街地の手前に小さなJR今和泉駅がある。「天璋院 篤姫」が来年の大河ドラマにならなかったら、誰も注目しなかったであろう片田舎の駅だ。そこにはブームを当て込んでか、観光案内所なるものがあるらしいことは、ネットで調べて知っていた。
しかし駅前(と言っても、車がやっとUターンできるくらいのスペースしかない)には、観光案内所らしき建物はない。かわいらしいとの表現が当てはまる小さな駅舎の左側は工事中。今、造ってる途中なのかな?と思っていたら、どうやら駅舎の中が案内所らしい。普通なら駅員さんが切符を切る改札口の窓口に、とてもJR職員には見えないおばちゃんが座っている。
200円で観光案内のパンフレットを買う(結局2冊購入)と、ボランティアの方がガイドをしてくれる様子。母の脚の骨折が完治していないため、ゆかりの地を全てを回るコースではなく、今和泉島津家の別邸とお墓の2箇所を見に行くことになった。
別邸は現在小学校になっていて、アットホームな雰囲気で運動会をやっていた。車を松林の海岸に停めて付近を散策する。別邸が存在していた形跡は殆ど残っておらず、小学校内に井戸と手水鉢がわずかにその名残を留めているのみであった。
お墓もそう。かなり荒れているような状態だったが、それでもかなり改善された結果らしい。200年近い風雪に耐えてきたお墓が傷んでいくのは、時間の必然と言えるのかもしれないが、埋もれていた歴史を大河ドラマという現代の都合で強引に掘り起こした感も否めない。
結論から言うと、あの片田舎を観光地化して欲しくはない。観光地として成り立つ要因を備えていないだけに、ブームだからと言ってむりやり盛り上げようとすると、おそらく一瞬にして熱気は過ぎ去っていくと思う。そしてその残骸のみが残される・・・そんな未来を予想するのは考え過ぎだろうか。身の丈をわきまえた整備を望みたい。
篤姫が活躍したのは、あくまで大奥、つまり江戸城内であって、ここ薩摩の地ではない。ちなみに今和泉島津家に生まれつき、斉彬の養女となった篤姫(一子:カツコ)は、ここの別邸には殆ど住んでいなかったらしい。彼女の足跡は、あまりにも小さいのだ。
アロハを身にまとったボランティアガイドさんは、一生懸命説明してくれた。30分の短縮コースをお願いしたはずが、熱弁1時間10分。ま、それも田舎っぽくて良かったんだけどね。
鹿児島にやってきた両親の希望で、篤姫の足跡を辿る小旅行に出かけた。指宿市街地の手前に小さなJR今和泉駅がある。「天璋院 篤姫」が来年の大河ドラマにならなかったら、誰も注目しなかったであろう片田舎の駅だ。そこにはブームを当て込んでか、観光案内所なるものがあるらしいことは、ネットで調べて知っていた。
しかし駅前(と言っても、車がやっとUターンできるくらいのスペースしかない)には、観光案内所らしき建物はない。かわいらしいとの表現が当てはまる小さな駅舎の左側は工事中。今、造ってる途中なのかな?と思っていたら、どうやら駅舎の中が案内所らしい。普通なら駅員さんが切符を切る改札口の窓口に、とてもJR職員には見えないおばちゃんが座っている。
200円で観光案内のパンフレットを買う(結局2冊購入)と、ボランティアの方がガイドをしてくれる様子。母の脚の骨折が完治していないため、ゆかりの地を全てを回るコースではなく、今和泉島津家の別邸とお墓の2箇所を見に行くことになった。
別邸は現在小学校になっていて、アットホームな雰囲気で運動会をやっていた。車を松林の海岸に停めて付近を散策する。別邸が存在していた形跡は殆ど残っておらず、小学校内に井戸と手水鉢がわずかにその名残を留めているのみであった。
お墓もそう。かなり荒れているような状態だったが、それでもかなり改善された結果らしい。200年近い風雪に耐えてきたお墓が傷んでいくのは、時間の必然と言えるのかもしれないが、埋もれていた歴史を大河ドラマという現代の都合で強引に掘り起こした感も否めない。
結論から言うと、あの片田舎を観光地化して欲しくはない。観光地として成り立つ要因を備えていないだけに、ブームだからと言ってむりやり盛り上げようとすると、おそらく一瞬にして熱気は過ぎ去っていくと思う。そしてその残骸のみが残される・・・そんな未来を予想するのは考え過ぎだろうか。身の丈をわきまえた整備を望みたい。
篤姫が活躍したのは、あくまで大奥、つまり江戸城内であって、ここ薩摩の地ではない。ちなみに今和泉島津家に生まれつき、斉彬の養女となった篤姫(一子:カツコ)は、ここの別邸には殆ど住んでいなかったらしい。彼女の足跡は、あまりにも小さいのだ。
アロハを身にまとったボランティアガイドさんは、一生懸命説明してくれた。30分の短縮コースをお願いしたはずが、熱弁1時間10分。ま、それも田舎っぽくて良かったんだけどね。
グラバー園から孔子廟に向かう。やはりここも被爆被害が大きかったそうで、市民の浄財によって建て直されたらしい。
極彩色の門をくぐると狛犬が出迎えてくれる。ここは狛犬天国、いや石像天国とも言える場所で、数多くの石像が並んでいる。もちろん狛犬好きの僕は、自然とテンションが上がる。
中庭には孔子の弟子たちの彫像がずらりと立っている。僕らが照りつける真夏の日差しに、門から中庭に歩き始めることを躊躇していると、小学生くらいの女の子がツツツとそれら像の前に進み出た。
「こんにちは」
隣のお弟子さんに向かって、
「こんにちは」
また隣に進んで、
「こんにちは」
石像一体一体に向かって、いちいち挨拶をしている。「こんにちは」の声とともに、ペコッと頭を下げていく姿が微笑ましい。正面に位置する狛犬にもちょっと逡巡した挙句、やっぱり「こんにちは」。
全員に挨拶し続けるのかな、と思って見ていたら、お母さんらしき女性から「もう行くわよ〜」と呼ばれて走っていった。
走り去る小さな後ろ姿が、一陣の風のように爽やかな空気を運んできた。しかし彼女にも灼熱の太陽は容赦なく降り注ぎ、陽炎のように姿を消した。
極彩色の門をくぐると狛犬が出迎えてくれる。ここは狛犬天国、いや石像天国とも言える場所で、数多くの石像が並んでいる。もちろん狛犬好きの僕は、自然とテンションが上がる。
中庭には孔子の弟子たちの彫像がずらりと立っている。僕らが照りつける真夏の日差しに、門から中庭に歩き始めることを躊躇していると、小学生くらいの女の子がツツツとそれら像の前に進み出た。
「こんにちは」
隣のお弟子さんに向かって、
「こんにちは」
また隣に進んで、
「こんにちは」
石像一体一体に向かって、いちいち挨拶をしている。「こんにちは」の声とともに、ペコッと頭を下げていく姿が微笑ましい。正面に位置する狛犬にもちょっと逡巡した挙句、やっぱり「こんにちは」。
全員に挨拶し続けるのかな、と思って見ていたら、お母さんらしき女性から「もう行くわよ〜」と呼ばれて走っていった。
走り去る小さな後ろ姿が、一陣の風のように爽やかな空気を運んできた。しかし彼女にも灼熱の太陽は容赦なく降り注ぎ、陽炎のように姿を消した。
長崎観光とくれば、ここは外せないでしょう。ということでやって来ましたグラバー園。僕は一昨年にも来ているけど、彼女は長崎自体が初訪問。ここも当然初めてだ。
丘の斜面に歴史的建造物が立ち並ぶ。芸術的とも言える建築の造形美が、青空と相まって美しい。それらの建築主たちが日本に殆ど外国人がいない状況下、すなわち全くの異国の地でたくましく、そしてしたたかに生きていくために、どれだけの労苦を味わったかは想像に難くない。数々の建物には、そのための和洋折衷の極致が見て取れる。その土地の文化を取り入れながらも、自らのアイデンティティーはしっかりと主張する、そんな強い意志が伝わってくるようでもある。
しかし・・・
暑い!暑すぎる!!
日差しは容赦なく照りつけるのに、落ち着いた佇まいの洋館にはあまり冷房は効いていない。しょうがないことなんだけど、とても我慢できん!
ということで、根性なしの僕らは日本で初めて西洋料理を出したとされる、旧自由亭の喫茶店に逃げ込んだ。涼しかったこともあるけど、水出し珈琲で作られたコーヒーゼリーは相当美味しかったです。
港町の風情が味わえるグラバー園。滞在時間は短かったものの、これぞ長崎という空気を満喫した。
でも、いかんせん暑すぎました。夏場は夜も営業してるそうだから、夜風に吹かれながらライトアップした洋館を眺め歩く方が正解かな。
丘の斜面に歴史的建造物が立ち並ぶ。芸術的とも言える建築の造形美が、青空と相まって美しい。それらの建築主たちが日本に殆ど外国人がいない状況下、すなわち全くの異国の地でたくましく、そしてしたたかに生きていくために、どれだけの労苦を味わったかは想像に難くない。数々の建物には、そのための和洋折衷の極致が見て取れる。その土地の文化を取り入れながらも、自らのアイデンティティーはしっかりと主張する、そんな強い意志が伝わってくるようでもある。
しかし・・・
暑い!暑すぎる!!
日差しは容赦なく照りつけるのに、落ち着いた佇まいの洋館にはあまり冷房は効いていない。しょうがないことなんだけど、とても我慢できん!
ということで、根性なしの僕らは日本で初めて西洋料理を出したとされる、旧自由亭の喫茶店に逃げ込んだ。涼しかったこともあるけど、水出し珈琲で作られたコーヒーゼリーは相当美味しかったです。
港町の風情が味わえるグラバー園。滞在時間は短かったものの、これぞ長崎という空気を満喫した。
でも、いかんせん暑すぎました。夏場は夜も営業してるそうだから、夜風に吹かれながらライトアップした洋館を眺め歩く方が正解かな。
1000万ドルの夜景
2007年8月17日 旅行
稲佐山中腹のホテル「清風」に僕らは泊まった。ちょっと古さを感じたけれど、楽天トラベルの女性浴衣レンタル付きパック2人で1泊朝食付き2万円はなかなかのお手頃価格だったと思う。
ちなみにそのレンタル浴衣は、そっくり「どうぞ、お持ち帰り下さい」と言われ、ありがたく頂戴した。売れ残りなのかなぁという気もするが、なかなか太っ腹なサービスでした。緑色のその浴衣は、結構僕のお気に入りです。
楽しみにしていたのは、もちろん夜景。「長崎1000万ドルの夜景」すなわち「11億5000万円の夜景」(1ドル=115円換算)とまで称される景色を2万円で買えるのだ。損な買い物ではあるまい。爆竹の破裂音が耳に残る精霊流しから帰って、カーテンを開けてみると・・・
う〜ん、確かに美しい・・・けどさすがに1000万ドルは吹っかけすぎだなぁと正直思ってしまった。お盆でオフィスビルの明かりが灯っていなかったため、夜景のもととなる照明の絶対数が不足していたことに起因するのかもしれない。でも、光の海のような新宿高層ビルや東京タワーからの夜景には到底かなわない気がする。ま、そっちは1億ドルくらいするのかね。
長崎の街を俯瞰すると、精霊流しの煙が市内各所から上がっているのが分かる。ただ水面に映る光とすり鉢状に並ぶ家々の灯りがどこか暖かくて、光が無尽蔵に溢れている大都市にはない素朴な光景が広がっていたことが印象的だった。
ちなみにそのレンタル浴衣は、そっくり「どうぞ、お持ち帰り下さい」と言われ、ありがたく頂戴した。売れ残りなのかなぁという気もするが、なかなか太っ腹なサービスでした。緑色のその浴衣は、結構僕のお気に入りです。
楽しみにしていたのは、もちろん夜景。「長崎1000万ドルの夜景」すなわち「11億5000万円の夜景」(1ドル=115円換算)とまで称される景色を2万円で買えるのだ。損な買い物ではあるまい。爆竹の破裂音が耳に残る精霊流しから帰って、カーテンを開けてみると・・・
う〜ん、確かに美しい・・・けどさすがに1000万ドルは吹っかけすぎだなぁと正直思ってしまった。お盆でオフィスビルの明かりが灯っていなかったため、夜景のもととなる照明の絶対数が不足していたことに起因するのかもしれない。でも、光の海のような新宿高層ビルや東京タワーからの夜景には到底かなわない気がする。ま、そっちは1億ドルくらいするのかね。
長崎の街を俯瞰すると、精霊流しの煙が市内各所から上がっているのが分かる。ただ水面に映る光とすり鉢状に並ぶ家々の灯りがどこか暖かくて、光が無尽蔵に溢れている大都市にはない素朴な光景が広がっていたことが印象的だった。
今回の長崎旅行のハイライトは精霊流しを見に行くことだった。正直、あまり関心がなかったのだが、彼女のプッシュに負けたことと、当日稲佐山のホテルの予約が取れたことで決定した。
3時くらいにホテルにチェックインして、5時には長崎市街地に出てみる。ホテルで浴衣がレンタルできるプランだったので、彼女は緑色の浴衣に着替えた。合わせて僕も甚平に身を包む。慣れないもんで、なんか気恥ずかしい。
バスに乗って山を降りている時から、白い装束の人々が散見され、遠くからは爆竹の音が響いてくる。さだまさしの歌を想像していた僕は、この段階では精霊流しに関して全く予備知識を有していなかった。小さな舟にロウソクを灯して川に流すのかな、そんな程度だった。
中華街に入ると爆竹の音がひっきりなしに耳に付くようになる。通りには精霊船が並んでいて、近くまでいってみると・・・
なんじゃこりゃ〜
精霊船の周辺にいる人たちが、爆竹を手にそこら中で破裂させている。爆竹一束なんてかわいいもの、箱ごと、あるいは山にして火を付ける、空中に放り投げる、手にしたまま爆発させる・・・耳をつんざく音は聴覚を麻痺させ、次々に近くで破裂する爆竹に恐怖心すら覚える。精霊流し=初盆の故人を偲ぶ行事にしては、物悲しさや物静かさとは無縁であった。
長崎では、こうやって賑やかに故人を送るそうだ。我が家はこんなに繁栄してますよ、心配しないで見守ってくださいよ、ということなのだろう。しかし、想像を遥かに超越した騒々しさに、果たして送られる人はこれを望んでいるのだろうか、という疑問が頭をもたげる。茶髪の兄ちゃんたちが、ビール片手に見物客を煽るかのように爆竹に火を付けて、果ては火柱が立つくらいの大爆発を起こす。これもひとつの形なのだろうけど・・・
裏の路地で小さな精霊船を大事そうに担ぐ一家の姿があった。白装束の子どもも、木の台座を一生懸命支えている。本来ならば、こうやって亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんを偲びつつ、見送るものなんじゃないかなと思う。「爆竹祭り」に見えてしまうのは、僕が精霊流しについて勉強不足であるのかもしれないし、このスタイルに至るまでの歴史を認識していないからかもしれない。ただ小さな精霊船を流す家族にシンパシーを感じたことだけは確かだ。
ちなみに今は船を海に流さないそうだ。ま、そんなことも知らなかったんだけどね。
3時くらいにホテルにチェックインして、5時には長崎市街地に出てみる。ホテルで浴衣がレンタルできるプランだったので、彼女は緑色の浴衣に着替えた。合わせて僕も甚平に身を包む。慣れないもんで、なんか気恥ずかしい。
バスに乗って山を降りている時から、白い装束の人々が散見され、遠くからは爆竹の音が響いてくる。さだまさしの歌を想像していた僕は、この段階では精霊流しに関して全く予備知識を有していなかった。小さな舟にロウソクを灯して川に流すのかな、そんな程度だった。
中華街に入ると爆竹の音がひっきりなしに耳に付くようになる。通りには精霊船が並んでいて、近くまでいってみると・・・
なんじゃこりゃ〜
精霊船の周辺にいる人たちが、爆竹を手にそこら中で破裂させている。爆竹一束なんてかわいいもの、箱ごと、あるいは山にして火を付ける、空中に放り投げる、手にしたまま爆発させる・・・耳をつんざく音は聴覚を麻痺させ、次々に近くで破裂する爆竹に恐怖心すら覚える。精霊流し=初盆の故人を偲ぶ行事にしては、物悲しさや物静かさとは無縁であった。
長崎では、こうやって賑やかに故人を送るそうだ。我が家はこんなに繁栄してますよ、心配しないで見守ってくださいよ、ということなのだろう。しかし、想像を遥かに超越した騒々しさに、果たして送られる人はこれを望んでいるのだろうか、という疑問が頭をもたげる。茶髪の兄ちゃんたちが、ビール片手に見物客を煽るかのように爆竹に火を付けて、果ては火柱が立つくらいの大爆発を起こす。これもひとつの形なのだろうけど・・・
裏の路地で小さな精霊船を大事そうに担ぐ一家の姿があった。白装束の子どもも、木の台座を一生懸命支えている。本来ならば、こうやって亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんを偲びつつ、見送るものなんじゃないかなと思う。「爆竹祭り」に見えてしまうのは、僕が精霊流しについて勉強不足であるのかもしれないし、このスタイルに至るまでの歴史を認識していないからかもしれない。ただ小さな精霊船を流す家族にシンパシーを感じたことだけは確かだ。
ちなみに今は船を海に流さないそうだ。ま、そんなことも知らなかったんだけどね。
1945年8月9日に、この場所の上空で原子爆弾が炸裂した。
そして一瞬にして7万人以上が亡くなり、その後も多くの人々が命を落とした。膨大な命、膨大な人生が、その総括をする間も与えられず消えていった。
アメリカ戦略爆撃調査団報告
“たとえ原子爆弾攻撃がなかったとしても、日本上陸の制空権確保によって、無条件降伏をもたらし、且上陸作戦を不用ならしむるための十分な圧力を発揮し得たであろうことは明らかだと思われる。・・・一切の事実の詳細な調査に基づき、また生き残った日本関係指導者の証言をも参考にして、調査団は次のような見解に到達する。すなわちたとえ原子爆弾が投下されなかったとしても、たとえロシアが参戦しなかったとしても、さらにまた上陸作戦が計画もされず企図されなかったとしても、日本は1945年12月31日以前に必ずや降伏したであろう。”
真夏の終戦記念日に、様々な人間の営みについて考えた。62年前、日本とアメリカ、交錯する人間の意志やその意思と無関係な雲の切れ間。B-29搭乗員が投下レバーに込める力、浦上天主堂で頭を垂れ、祈りのためにロザリオを握り締める力。その力には大した違いはないはずなのに。数十秒後、両者には大きな隔たりができていた。
立ち上る陽炎の向こう側にゆらゆらと蠢きながら、像がそびえていた。安穏とした僕らに、彼らの死の意味を問い直すかのように。
そして一瞬にして7万人以上が亡くなり、その後も多くの人々が命を落とした。膨大な命、膨大な人生が、その総括をする間も与えられず消えていった。
アメリカ戦略爆撃調査団報告
“たとえ原子爆弾攻撃がなかったとしても、日本上陸の制空権確保によって、無条件降伏をもたらし、且上陸作戦を不用ならしむるための十分な圧力を発揮し得たであろうことは明らかだと思われる。・・・一切の事実の詳細な調査に基づき、また生き残った日本関係指導者の証言をも参考にして、調査団は次のような見解に到達する。すなわちたとえ原子爆弾が投下されなかったとしても、たとえロシアが参戦しなかったとしても、さらにまた上陸作戦が計画もされず企図されなかったとしても、日本は1945年12月31日以前に必ずや降伏したであろう。”
真夏の終戦記念日に、様々な人間の営みについて考えた。62年前、日本とアメリカ、交錯する人間の意志やその意思と無関係な雲の切れ間。B-29搭乗員が投下レバーに込める力、浦上天主堂で頭を垂れ、祈りのためにロザリオを握り締める力。その力には大した違いはないはずなのに。数十秒後、両者には大きな隔たりができていた。
立ち上る陽炎の向こう側にゆらゆらと蠢きながら、像がそびえていた。安穏とした僕らに、彼らの死の意味を問い直すかのように。
ハウステンボスとはなにか?
そりゃ僕が語る問題じゃないけれど、個人的にちょっとした関係もあるので、少し思いついたことを・・・
「千年の街」のキャッチフレーズは、随所に具現化しているはずだ。運河の護岸や水質、建物のクオリティーにしろ、他のアミューズメントパークとは確かに一線を画す。それだけの重厚感、本物感は漂う。
ただそれをアピールする努力も欠けていれば、現在進行形の上乗せもない。つまり「私達は1000年先を見据えているんですよ」と主張したいのであれば、現在社会問題となっている温暖化を抑えるために行っている活動なども論じられてしかるべきだ。例えば、お土産品の過剰包装に気を配る、マイバックを持参するお客さんには割引をする、またはカップを販売して飲み物類は量り売りするなど、いくらでも「環境重視型テーマパーク」をアピールすることができるのではないか。
人口のバックボーンを持たない佐世保。立地は哀しいまでもディズニーリゾートとは水を開けられている。キャラクターもそう。アミューズメントの質もそう。比較すること自体、申し訳ない気持ちになるし、視点がまだバブルの発想から脱却できていない。
ではハウステンボスに何が必要か?
それはリピーターの育成と新たな価値観の創造だと思う。会員制にして年間の入場料を割安にする仕組みはあるが、会員になるかどうかは最初の来場における第一印象で決まる。そこでリピーターの核となる子どもが「楽しい」「また来たい」と思わなければ意味がないのだ。せめて佐世保市民は常時半額、長崎県民ならば子ども料金1000円均一など思い切った方針を打ち出す必要があると思う。
新たな価値観、それは先に挙げた環境型テーマパークの徹底やキッザニアに見られるような「参加型アミューズメント」の応用などが考えられる。
印象的だったのが、駐車場のアルバイトの数が多すぎること、花火会場周辺に人が集まってしまい、他の街並みがゴーストタウンのようであったことと、入り口のゲートでビニールプールの中に氷の塊を無造作に置いてあったこと。特に氷については素人の僕でも、もうちょっとましなやり方を考えるだろう。
僕だけの印象かもしれないが、既に物悲しくもあるハウステンボス。どこに向かって進んでいくのか、ビジョンを有した経営をされることを望む。
そりゃ僕が語る問題じゃないけれど、個人的にちょっとした関係もあるので、少し思いついたことを・・・
「千年の街」のキャッチフレーズは、随所に具現化しているはずだ。運河の護岸や水質、建物のクオリティーにしろ、他のアミューズメントパークとは確かに一線を画す。それだけの重厚感、本物感は漂う。
ただそれをアピールする努力も欠けていれば、現在進行形の上乗せもない。つまり「私達は1000年先を見据えているんですよ」と主張したいのであれば、現在社会問題となっている温暖化を抑えるために行っている活動なども論じられてしかるべきだ。例えば、お土産品の過剰包装に気を配る、マイバックを持参するお客さんには割引をする、またはカップを販売して飲み物類は量り売りするなど、いくらでも「環境重視型テーマパーク」をアピールすることができるのではないか。
人口のバックボーンを持たない佐世保。立地は哀しいまでもディズニーリゾートとは水を開けられている。キャラクターもそう。アミューズメントの質もそう。比較すること自体、申し訳ない気持ちになるし、視点がまだバブルの発想から脱却できていない。
ではハウステンボスに何が必要か?
それはリピーターの育成と新たな価値観の創造だと思う。会員制にして年間の入場料を割安にする仕組みはあるが、会員になるかどうかは最初の来場における第一印象で決まる。そこでリピーターの核となる子どもが「楽しい」「また来たい」と思わなければ意味がないのだ。せめて佐世保市民は常時半額、長崎県民ならば子ども料金1000円均一など思い切った方針を打ち出す必要があると思う。
新たな価値観、それは先に挙げた環境型テーマパークの徹底やキッザニアに見られるような「参加型アミューズメント」の応用などが考えられる。
印象的だったのが、駐車場のアルバイトの数が多すぎること、花火会場周辺に人が集まってしまい、他の街並みがゴーストタウンのようであったことと、入り口のゲートでビニールプールの中に氷の塊を無造作に置いてあったこと。特に氷については素人の僕でも、もうちょっとましなやり方を考えるだろう。
僕だけの印象かもしれないが、既に物悲しくもあるハウステンボス。どこに向かって進んでいくのか、ビジョンを有した経営をされることを望む。
キャンプ喜怒哀楽 「喜」+「楽」編
2007年8月13日 旅行テントを張る際に、風によるバタつきを抑えるためにインナーとの間に空間を作る。間が開くように紐で固定するのだが、その紐について新たな発見があった。
「自在」と言うらしい。左右2箇所の穴に紐を通したプラスチックの器具を、恥ずかしながら僕はどうやって使うのか分からなかった。それが、それが、こんなにも便利なものだったとは!
ペグに紐を通して打つ。紐の中程に「自在」がくるようにセットしておけば、テンションを自由に変えられる。すなわち微調整ができるのだ。今までにもタープを立てる際に、「自在」付きの紐で固定していたものの、「自在」の使い方を全く知らなかったため、紐の長さを途中で結んで短くしたりしていた(言い訳をすれば、そのタープに説明書が入っていなかった)。汗顔の至りだ。
テントの室内が快適だったことも喜びだったし、なにより楽だったのだけれど、この「自在」使用法の発見こそが今回のキャンプの一番の収穫だったように思う。おかげで強風の中でも、僕らのテントはしっかりと立ち続けてくれた。
「自在」と言うらしい。左右2箇所の穴に紐を通したプラスチックの器具を、恥ずかしながら僕はどうやって使うのか分からなかった。それが、それが、こんなにも便利なものだったとは!
ペグに紐を通して打つ。紐の中程に「自在」がくるようにセットしておけば、テンションを自由に変えられる。すなわち微調整ができるのだ。今までにもタープを立てる際に、「自在」付きの紐で固定していたものの、「自在」の使い方を全く知らなかったため、紐の長さを途中で結んで短くしたりしていた(言い訳をすれば、そのタープに説明書が入っていなかった)。汗顔の至りだ。
テントの室内が快適だったことも喜びだったし、なにより楽だったのだけれど、この「自在」使用法の発見こそが今回のキャンプの一番の収穫だったように思う。おかげで強風の中でも、僕らのテントはしっかりと立ち続けてくれた。
キャンプ喜怒哀楽 「怒」編
2007年8月13日 旅行
今回の長崎旅行は、3泊中2泊を1泊400円のキャンプ場で節約し、1日だけは稲佐山中腹のホテルに泊まろうという計画。よってキャンプ場の良し悪し、さらにテント設営の優劣に旅の成否がかかってくる。
今まで使っていたツーリングテントはそもそも2人用で、あまりにも狭すぎるということで、新しくコールマンの4人用をご購入。広々として身長178cmの僕でも立つことができる室内は、きっと快適な空間を提供してくれるだろう。
テントを設営することに関しては、小さいながらもツーリングテントでの経験があったので、あまり心配はしていなかった。ところがいざ組み上げていくと、とんでもない問題に直面した。
あるべき部品がない。テントのインナーに付属しているはずのポールを接続するジョイント器具が、どこを探しても見当たらない。事前に部品を確認してもわからない、まさに盲点だった。
これにはかなり焦った。柱になるべきメインのポールと、天井を支えるポールが接続できないということは、すなわちテントが立たないことを意味する。確かに買ったまま、一度も試しに立てることなくキャンプに臨んだ僕も甘いと言えば甘いが、まさかそんな重要な部品が付いてないとは夢にも思っていなかった。
様々な選択肢を考えた。
・市街地に出て部品(該当するものがなければテントそのもの)を購入する
・キャンプ場に常設されているテントかバンガローに泊まる
・キャンプを諦めて、市街地のビジネスホテルに泊まる
その中で最も現実的だったのが、キャンプ場内の施設に泊まること。全体的に空いているようではあったので、とりあえず管理事務所に行ってみた。
ありがたいことに、そこの管理人さんがとても親身になってくれた。まずは同じような部品がないか探してくれて、ないと分かると替わりになるものを考えてくれた。
そこで見つけ出してもらったのがビニールホース。ジョイント部分は違う角度のポールを接続するものであるため、硬い金属管では代用できなかったが、これならば自由に曲げられる。そしてどこにでもある薄汚れた水色のホースが僕らの救世主となった。
なんとか無事テントが立ったところで、購入店に電話。「部品を手配します」と言う店員さんに、「(代用品を用いることで)変なテンションがかかって、テント全体のダメージに繋がる可能性もあるので交換を」と主張した。しばらく待たされた結果、交換に応じてもらえることになったのだが・・・
なんだか釈然としない。ちゃんとキャンプもできたし、代用品で工夫できたというアウトドア的な満足感もあった。ただ一流メーカーと呼ばれる商品に、極めて重要な部品が入っていないという事実には驚かされたし、設営の現場では怒りすら覚えた。一般論として、物品を購入した消費者が全ての部品を確認したり、説明書の注意書き全てを読破することは不可能だし、常識的に考えても必要がないだろう。そう思ってたんだけどなぁ・・・
「責任者、出てこい!」
とまで声を荒らげる問題ではないけどね。
今まで使っていたツーリングテントはそもそも2人用で、あまりにも狭すぎるということで、新しくコールマンの4人用をご購入。広々として身長178cmの僕でも立つことができる室内は、きっと快適な空間を提供してくれるだろう。
テントを設営することに関しては、小さいながらもツーリングテントでの経験があったので、あまり心配はしていなかった。ところがいざ組み上げていくと、とんでもない問題に直面した。
あるべき部品がない。テントのインナーに付属しているはずのポールを接続するジョイント器具が、どこを探しても見当たらない。事前に部品を確認してもわからない、まさに盲点だった。
これにはかなり焦った。柱になるべきメインのポールと、天井を支えるポールが接続できないということは、すなわちテントが立たないことを意味する。確かに買ったまま、一度も試しに立てることなくキャンプに臨んだ僕も甘いと言えば甘いが、まさかそんな重要な部品が付いてないとは夢にも思っていなかった。
様々な選択肢を考えた。
・市街地に出て部品(該当するものがなければテントそのもの)を購入する
・キャンプ場に常設されているテントかバンガローに泊まる
・キャンプを諦めて、市街地のビジネスホテルに泊まる
その中で最も現実的だったのが、キャンプ場内の施設に泊まること。全体的に空いているようではあったので、とりあえず管理事務所に行ってみた。
ありがたいことに、そこの管理人さんがとても親身になってくれた。まずは同じような部品がないか探してくれて、ないと分かると替わりになるものを考えてくれた。
そこで見つけ出してもらったのがビニールホース。ジョイント部分は違う角度のポールを接続するものであるため、硬い金属管では代用できなかったが、これならば自由に曲げられる。そしてどこにでもある薄汚れた水色のホースが僕らの救世主となった。
なんとか無事テントが立ったところで、購入店に電話。「部品を手配します」と言う店員さんに、「(代用品を用いることで)変なテンションがかかって、テント全体のダメージに繋がる可能性もあるので交換を」と主張した。しばらく待たされた結果、交換に応じてもらえることになったのだが・・・
なんだか釈然としない。ちゃんとキャンプもできたし、代用品で工夫できたというアウトドア的な満足感もあった。ただ一流メーカーと呼ばれる商品に、極めて重要な部品が入っていないという事実には驚かされたし、設営の現場では怒りすら覚えた。一般論として、物品を購入した消費者が全ての部品を確認したり、説明書の注意書き全てを読破することは不可能だし、常識的に考えても必要がないだろう。そう思ってたんだけどなぁ・・・
「責任者、出てこい!」
とまで声を荒らげる問題ではないけどね。
同期入社の人たち(やつら)が大挙して鹿児島に押し寄せた。僕はにわか添乗員と化して、様々な場所を案内して回る。
鹿児島空港到着を出迎え、城山展望台から鹿児島市内を一望し、西郷洞窟の前を通過し、ドルフィンポートで鶏飯を食し、行きつけの酒屋でレア焼酎をGETし、池田湖に立ち寄り(土産もの屋さんのおばあちゃんが強烈だった)、長崎鼻で夕陽の開門岳を眺め、やっと砂蒸し風呂に辿り着いた。すっかり夜の帳りが降りていたことは言うまでもない。
砂蒸し会館「砂楽」にお邪魔した。エスカレーターを登って2階受付へ。そこで浴衣を受け取り、ロッカーで着替える。何も着けない状態で浴衣を羽織るのだが、外に出るとさすがにスースーする。
海岸に下りると、そこには屋根つきの砂蒸し会場があった。おばちゃんが「奥に行って〜」と案内してくれる。手前には身体を砂に埋め顔だけを出した老若男女が、目を閉じて「ほけ〜」としている。
一番奥まで行くと、「じゃあ、ここに寝てください」と促される。砂の上に足を踏み入れるとほのかに温かいくらいだが、寝転がるとさすがに熱い。おばちゃんが「重かったら言ってね〜」と言いながら、僕の全身(もちろん顔は除く)にせっせと砂を盛っていく。とうとう地表に出ているのは、顔と頭だけとなった。
そのうち、肘やお尻が熱くなってくる。かと言って、上から重しのように砂をかぶせられている身としては、寝返りを打つわけにもいかない。背中にじんわりと汗をかいているのを感じながら、その局地的な熱さにも耐えねばならないのだ。
砂の圧力なのか、僕は砂をかぶせた直後から「ズキン、ズキン」という鼓動を感じた。あまりにも気になるようだったら、少しだけ砂をどけて、後から追加で乗せてもらうことも可能のよう。
結局15分間砂の中。背中はじっとりと汗をかいていた。その後のビールが美味かったことは、あえて論ずるまでもあるまい。
砂蒸しの施設は良かったし、宿(砂楽の目の前)もこじんまりとしていてマル。また来たいな、と思わせる宿でした。
鹿児島空港到着を出迎え、城山展望台から鹿児島市内を一望し、西郷洞窟の前を通過し、ドルフィンポートで鶏飯を食し、行きつけの酒屋でレア焼酎をGETし、池田湖に立ち寄り(土産もの屋さんのおばあちゃんが強烈だった)、長崎鼻で夕陽の開門岳を眺め、やっと砂蒸し風呂に辿り着いた。すっかり夜の帳りが降りていたことは言うまでもない。
砂蒸し会館「砂楽」にお邪魔した。エスカレーターを登って2階受付へ。そこで浴衣を受け取り、ロッカーで着替える。何も着けない状態で浴衣を羽織るのだが、外に出るとさすがにスースーする。
海岸に下りると、そこには屋根つきの砂蒸し会場があった。おばちゃんが「奥に行って〜」と案内してくれる。手前には身体を砂に埋め顔だけを出した老若男女が、目を閉じて「ほけ〜」としている。
一番奥まで行くと、「じゃあ、ここに寝てください」と促される。砂の上に足を踏み入れるとほのかに温かいくらいだが、寝転がるとさすがに熱い。おばちゃんが「重かったら言ってね〜」と言いながら、僕の全身(もちろん顔は除く)にせっせと砂を盛っていく。とうとう地表に出ているのは、顔と頭だけとなった。
そのうち、肘やお尻が熱くなってくる。かと言って、上から重しのように砂をかぶせられている身としては、寝返りを打つわけにもいかない。背中にじんわりと汗をかいているのを感じながら、その局地的な熱さにも耐えねばならないのだ。
砂の圧力なのか、僕は砂をかぶせた直後から「ズキン、ズキン」という鼓動を感じた。あまりにも気になるようだったら、少しだけ砂をどけて、後から追加で乗せてもらうことも可能のよう。
結局15分間砂の中。背中はじっとりと汗をかいていた。その後のビールが美味かったことは、あえて論ずるまでもあるまい。
砂蒸しの施設は良かったし、宿(砂楽の目の前)もこじんまりとしていてマル。また来たいな、と思わせる宿でした。
そこは一種異様な光景だった。
無数の瓦の石が、無数の霊廟のように積まれている。普通に落ちている石は全くない。過言ではなく一つもないのだ。それこそ無数の人たちが、無数の願いを込めて積んでいったからであろう。
そこは確かに霊的な何かを感じる場所だった。
高千穂に入り、天岩戸神社にお参り。せっかくだからと清流沿いにある天安河原へ。ここは天照大神が身を隠してしまったときに、神々が集まって「どうやって岩戸を開こうか」と相談した場所らしい。仰慕窟(ぎょうぼがいわや)というそうだ。
そこには人々の祈り、願い、あるいは煩悩なども存在するのだろう。目に見えない、ひんやりとした空気に息苦しさすら感じる。いや、もしかしたら、誰かの祈りと共鳴した鼓動だったのかもしれない。
恐山に行った時も、同じような空気を感じたものだ。あまりオカルト好きではない僕でも何か感じてしまう、そんな圧倒的な雰囲気が宮崎の山の上にあった。
今日も誰かが祈りを捧げる。明日も、明後日も。
無数の瓦の石が、無数の霊廟のように積まれている。普通に落ちている石は全くない。過言ではなく一つもないのだ。それこそ無数の人たちが、無数の願いを込めて積んでいったからであろう。
そこは確かに霊的な何かを感じる場所だった。
高千穂に入り、天岩戸神社にお参り。せっかくだからと清流沿いにある天安河原へ。ここは天照大神が身を隠してしまったときに、神々が集まって「どうやって岩戸を開こうか」と相談した場所らしい。仰慕窟(ぎょうぼがいわや)というそうだ。
そこには人々の祈り、願い、あるいは煩悩なども存在するのだろう。目に見えない、ひんやりとした空気に息苦しさすら感じる。いや、もしかしたら、誰かの祈りと共鳴した鼓動だったのかもしれない。
恐山に行った時も、同じような空気を感じたものだ。あまりオカルト好きではない僕でも何か感じてしまう、そんな圧倒的な雰囲気が宮崎の山の上にあった。
今日も誰かが祈りを捧げる。明日も、明後日も。
タイトルを読める人は、相当の九州通、いや宮崎通でしょう。南九州は難読地名が多く、まだよく分からない。
鹿児島に「頴娃」という地名がある。読めね〜よ。ちなみに「飫肥」は「おび」、「頴娃」は「えい」です。
飫肥は、とってもいい街でした。小京都と言う触れ込みも、あながち間違いじゃねーな、と。二階建てより高い建物がなく、空が広く、そして高かった。なにより食い物が美味かった。かつおめし最高!
あと四半的試射といって、座りながら弓を射ったことが、いい思い出になりました。
的に当たった時の快感っていったら!
鹿児島に「頴娃」という地名がある。読めね〜よ。ちなみに「飫肥」は「おび」、「頴娃」は「えい」です。
飫肥は、とってもいい街でした。小京都と言う触れ込みも、あながち間違いじゃねーな、と。二階建てより高い建物がなく、空が広く、そして高かった。なにより食い物が美味かった。かつおめし最高!
あと四半的試射といって、座りながら弓を射ったことが、いい思い出になりました。
的に当たった時の快感っていったら!
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