労働組合。その存在意義。
2005年4月22日今時、労働運動なんて流行らない、と誰しも思っている中、なぜか僕は東北支部の支部長をやっている。毎年8月に選挙で決められるのだが、ほとんどの役員が信任率100%に近い数字で選ばれる。フセイン政権下のイラクか、現在の北朝鮮並みの数値だ。もちろん僕らの能力が信任に値するのではない。誰もやりたくないだけだ。
当然、僕も全く関心がなかった。説明会に出ると弁当が食える、くらいの認識だった。同じ大学出身の先輩が「頼む」と一言。体育会系の後輩としては、引き受けざるを得ない。
でも「やるからにはいろいろ経験してみよう」と前向きに切り替えてみたものの、やっぱりしっくりこない。使う言葉も古めかしいし、本音を建前で糊塗する辺りが旧態然とした印象を与える。組合専任で働いている人達にとっては「組合員の生活を守る」というお題目が、僕らにとっての「売り上げ上げてこい」と同義なのであって、それが生活の糧であるのだからしょうがないのも理解できる。空虚な言葉も、勇ましい掛け声も、難解な用語も。
会社がある。労働組合がある。確かに協約などが十分に整備されていないと、いきなり首切りなんて事態も想定される。リストラが社会問題となっている現在では、相当重要な課題であることは間違いない。しかし高い組合費を払っているのにも関わらず、こんなに関心を持たれないのは組合の広報活動(組合用語では教宣活動)が悪いのか、そもそも存在意義自体が失われているのか。
僕の周りにも、仕事をしないで堂々と給料を貰っている人がいる。それも一人ではない。そういう人達の雇用を守るために組合が存在しているのならば、はっきり言って意味がない。
「この時代、馴れ合いじゃ生き残れないんじゃない?」
みんながそう考えているのに、組合だけが変わらない。
今日は中央執行部(古めかしい・・・)の副書記長(何をやっているのか、字面からは理解できない)がやってきて、春闘の振り返りを話していった。いい人なんだけど、口が上手すぎていまいち信用できない感がある。聞いている人は、はぐらかされている印象を受けるからだ。
今年で僕の支部長の任期も終わる。もう来年はやらない。でも組合自体は脱退すると会社も辞めなければならない強制加入の組織のため、組合費は払い続けなければならない。まぁ、今日もそのお金で飲んできたんだから、何にも言えないけど。
組織のために組織が存在している事実と、聖域のように誰も触れない(触れたくない)という事情。目蒲線並みにあってもなくてもどうでもいい気がしてきた。酔っ払っているせいかな。
当然、僕も全く関心がなかった。説明会に出ると弁当が食える、くらいの認識だった。同じ大学出身の先輩が「頼む」と一言。体育会系の後輩としては、引き受けざるを得ない。
でも「やるからにはいろいろ経験してみよう」と前向きに切り替えてみたものの、やっぱりしっくりこない。使う言葉も古めかしいし、本音を建前で糊塗する辺りが旧態然とした印象を与える。組合専任で働いている人達にとっては「組合員の生活を守る」というお題目が、僕らにとっての「売り上げ上げてこい」と同義なのであって、それが生活の糧であるのだからしょうがないのも理解できる。空虚な言葉も、勇ましい掛け声も、難解な用語も。
会社がある。労働組合がある。確かに協約などが十分に整備されていないと、いきなり首切りなんて事態も想定される。リストラが社会問題となっている現在では、相当重要な課題であることは間違いない。しかし高い組合費を払っているのにも関わらず、こんなに関心を持たれないのは組合の広報活動(組合用語では教宣活動)が悪いのか、そもそも存在意義自体が失われているのか。
僕の周りにも、仕事をしないで堂々と給料を貰っている人がいる。それも一人ではない。そういう人達の雇用を守るために組合が存在しているのならば、はっきり言って意味がない。
「この時代、馴れ合いじゃ生き残れないんじゃない?」
みんながそう考えているのに、組合だけが変わらない。
今日は中央執行部(古めかしい・・・)の副書記長(何をやっているのか、字面からは理解できない)がやってきて、春闘の振り返りを話していった。いい人なんだけど、口が上手すぎていまいち信用できない感がある。聞いている人は、はぐらかされている印象を受けるからだ。
今年で僕の支部長の任期も終わる。もう来年はやらない。でも組合自体は脱退すると会社も辞めなければならない強制加入の組織のため、組合費は払い続けなければならない。まぁ、今日もそのお金で飲んできたんだから、何にも言えないけど。
組織のために組織が存在している事実と、聖域のように誰も触れない(触れたくない)という事情。目蒲線並みにあってもなくてもどうでもいい気がしてきた。酔っ払っているせいかな。
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