ごらん、あれが竜飛崎、北のはずれ
2005年5月6日 ツーリング平舘を出発して、右手に北海道を見ながら走ること1時間。竜飛崎に到着した。一番上の展望台から少し降りたところ、日本唯一の階段国道の入り口そばに「津軽海峡冬景色」の歌碑がある(歌謡碑だそうだ)。近くまで行ってみると、すごい仕掛けが隠されていた。
中央のボタンを押すと、なんと石川さゆりが歌いだすではないか!
観光客がやって来る度に「ごらん、あれが竜飛崎、北の外れと〜」大音量で鳴り始め、途切れることがない。遮蔽物がないため周囲に響き渡って、だんだん耳障りにすら思えてくる。
まあ、確かに演歌の世界だ。うら寂しく、物悲しい。ハッピーエンドよりも悲恋が、団体客よりも一人旅が、ドレスよりも和服が似合う。風も海も残雪も、そしてだんだん曇ってきた空さえも、その雰囲気を醸し出す。でもあの歌が延々と流れ続けるのはなぁ…
風の岬という名を冠するだけに、山側を振り返ると風力発電用の風車が林立している。幸い、バイクの走行に支障を来たすような風ではなかったものの、岬を見下ろす展望台では潮風が容赦なく打ち付けてくる。
展望台には旧海軍の見張り台があった。トーチカのようにコンクリートで覆われ、津軽海峡を睥睨している。いつ造られたものなのかは分らないが、日露戦争時にロシアの艦隊を監視する役目を負っていたのだとすると、今年で100年目ということになる。戦争序盤で暴れまわったロシア太平洋艦隊の動向や、ロジェストウェンスキー提督が率いるバルチック艦隊(対馬沖で敗れ、津軽海峡まで辿り着かなかったが)を捕捉するために、そこで24時間海を眺め続けていた人達がいたとしたら。まさに北の外れのこの地で、彼らは煙突からたなびく煙を必死になって探し続けたのだろう。歴史のロマンというよりは、その現実的な作業の苦労に思いを至らせた。
厳しい風雪に耐え続けた小さな軍事施設は、幾分くたびれた感じで今日も海を見つめていた。
竜飛崎を後にする。これ以降、僕の旅は南下の一途を辿ることになる。
中央のボタンを押すと、なんと石川さゆりが歌いだすではないか!
観光客がやって来る度に「ごらん、あれが竜飛崎、北の外れと〜」大音量で鳴り始め、途切れることがない。遮蔽物がないため周囲に響き渡って、だんだん耳障りにすら思えてくる。
まあ、確かに演歌の世界だ。うら寂しく、物悲しい。ハッピーエンドよりも悲恋が、団体客よりも一人旅が、ドレスよりも和服が似合う。風も海も残雪も、そしてだんだん曇ってきた空さえも、その雰囲気を醸し出す。でもあの歌が延々と流れ続けるのはなぁ…
風の岬という名を冠するだけに、山側を振り返ると風力発電用の風車が林立している。幸い、バイクの走行に支障を来たすような風ではなかったものの、岬を見下ろす展望台では潮風が容赦なく打ち付けてくる。
展望台には旧海軍の見張り台があった。トーチカのようにコンクリートで覆われ、津軽海峡を睥睨している。いつ造られたものなのかは分らないが、日露戦争時にロシアの艦隊を監視する役目を負っていたのだとすると、今年で100年目ということになる。戦争序盤で暴れまわったロシア太平洋艦隊の動向や、ロジェストウェンスキー提督が率いるバルチック艦隊(対馬沖で敗れ、津軽海峡まで辿り着かなかったが)を捕捉するために、そこで24時間海を眺め続けていた人達がいたとしたら。まさに北の外れのこの地で、彼らは煙突からたなびく煙を必死になって探し続けたのだろう。歴史のロマンというよりは、その現実的な作業の苦労に思いを至らせた。
厳しい風雪に耐え続けた小さな軍事施設は、幾分くたびれた感じで今日も海を見つめていた。
竜飛崎を後にする。これ以降、僕の旅は南下の一途を辿ることになる。
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