知覧

2005年9月24日
特攻隊の基地があったことで知られる知覧。平和記念館には隊員たちの遺書や寄せ書き、写真などが並ぶ。中心には旧陸軍の三式戦「飛燕」が置かれ、別室には引き揚げられた零戦が飾られている。

16歳の少年飛行兵が犬を抱き上げて微笑む写真は、館内の説明でも取り上げられ、当時の人々の純粋な「国を護る」という気持ちの発露として紹介されている。小泉首相も涙したと言われる。

彼らが純粋なのは認める。「国を護る」「大切な人を護る」その気持ちに嘘偽りはないだろう。

では彼らに爆弾を積んで沖縄に飛ぶように命令したのは誰だ?
その純粋な心を利用して、無謀な作戦を立案したのは誰だ?
10代や20代そこそこの若者に人生を総括させ、両親に宛てた遺書を書かせたのは誰だ?

ただでさえ速度の遅い観測機や練習機に爆弾を括り、鈍重な機動性しか持たない機体は、レーダーに捕捉され迎撃機に七面鳥のように打ち落とされる。運よく米艦隊上空まで辿り着いたとしても、ハリネズミのような対空砲火によって為す術なく海中に没する。よしんば僥倖が重なり、体当たりに成功しても、優れたダメージコントロールによって鎮火してしまう。

参謀肩章を吊り、大本営で机上の戦争ゲームに興じていた人々がいる。現状を見ず、現場を知らず、数合わせのごとく人の命を動かしていた人々がいる。愛国心を煽り、国に殉ずることを強制していた彼らはいったい何処にいたのだ?

平和ボケともいわれる現代に生きる僕が大層なことを言える身分ではないが、特攻が愚かな作戦であることだけはわかる。隊員たちの純粋な気持ちを踏みにじるつもりは毛頭ない。あくまで特攻という作戦が、そしてそれを認可して続けさせた軍上層部が愚かだったのだ。

その視点が知覧には欠けている。「かわいそう」そんな空気だけが充満しているように感じる。彼らの心根に想いを馳せることは決して悪いことではないが、彼らを美化しすぎることはかえって軍部の愚かさを隠蔽することになりかねない。

決して「無意味な死」ではなかったと思いたい。そして彼らの死の延長線上に僕らが生きていることを忘れてはならない。でも彼らにもっと「有意義な生」があったのではないか、と考えてみることも大切だろう。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索