自由と生命と宗教

2006年2月22日
今、言論の自由と宗教観を巡って、世界中が大騒ぎしている。日本人の僕はイスラムの教えを理解するべくもないし、「彼らの中では至上の問題なんだろうな」くらいの意識でしかない。大使館に投石、放火する輩を弁護するつもりは毛頭ないが、明確な文化の違いには諦めすら感じるのは僕だけではないだろう。

ある医師から興味深い話を聞いた。
その医師は大学医学部で中東某国からの留学生の指導を行なっていたそうで、ある時アメリカの学会へ出す論文をチェックしていた。300箇所もの訂正部分を指摘し、次回までに直すように指示を出した。

再度提出された論文は、指摘された部分の半分も直されておらず、さらに30箇所以上が改変されていた。改変部分にもミスが見つかり、さすがに怒ったそうだ。
「あなたの論文を訂正することが私の仕事ではない。他の仕事をしなければならない時間を割いて、あなたのために使っている。私はあなたの奴隷ではない」

すると彼はこう反論した。
「私は法を犯してはいない。あなたに怒られるような問題ではない」

彼の祖国では99%の国民がこの調子だそうで、残り1%の真面目な人間はマイノリティ。しかし宗教に対する意識は極めて高く、仕事はしないが時間通りにお祈りをすることだけは欠かさない。アメリカの学会での発表とメッカへの巡礼が重なった時も、当然後者を選択した。
彼以来、その医局では発展途上国からの留学生を受け入れていない。

多くの日本人は特定の宗教観を持たない。切支丹の弾圧や一向一揆など、宗教が介在した戦争が起きた歴史もあるが、あえて様々な思想(中国や欧米など)を受容し、咀嚼して飲み込むことで発展してきた。それは「曖昧な日本人」を生み出す背景なのかもしれないけれど、日本的(この定義も曖昧だが)な概念を残しつつ、他の存在を認められる稀有な民族なのではないかとも思う。買いかぶり過ぎかもしれないし、ただ鈍感なだけかもしれない。

アメリカは世界の警察たらんとし、主張を通すために若者を戦場に送る。
中国は中華思想をもとに、世界の中心を自負する。
イスラムは貧困と宗教を重ね、欧米支配に抵抗して自爆する。
みんな勝手じゃないか。

僕は聖人じゃないし、他人に賞賛される人生を送っているわけでもない。
でも最近、世界はちょっとおかしい。
ま、「おかしい」ということを自由に表現できるだけ、まだましなんだろうけど。

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