薩摩富士とも称される開聞岳は、離れて見ると大層美しい山容である。薩摩半島の先っぽで凛としてそびえる独立峰で、つい1,000年前まで活火山として活動していた獰猛さも併せ持つ。

僕らは、美しくも勇ましい女性にも似た開聞岳の登頂を試みた。標高は924m。カタログデータ的には大したことはないけれど、「じゃ、途中まで車で」って訳にもいかないスパルタンな山で、実際の登坂距離は結構なものだ。二合目の登山口から山に挑む。入り口の看板には、
「開聞岳は易しい山です」
との表示が・・・。あとで誰を対象にした話なのか、本気で疑いたくなった。

その秀麗なイメージとは相反して、鬱蒼とした森の中を進む。かろうじて木々の切れ目から眼下の風景を見て取れるものの、独立峰という開放的なイメージからは程遠い鬱屈とも言える山道が続く。

五合目を過ぎると、ロープを伝って登る箇所があったり、大きな岩を乗り越えなければならなかったりと、結構きつい道になっていく。ただ高齢のパーティーが前を進んでいて必然的にペースダウンしたためか、体力的・精神的な辛さは感じなかった。変化があって楽しいくらいだ。

しかし七合目から、山はその性格を一変させた。森に覆われた山肌から、ごつごつした岩が立ちはだかる道へと変わる。地学的にも七合目を境に違いがあるらしく、何か別な山を登っている印象すら与える変貌である。僕らは賑やかな高齢パーティーに道を譲ってもらい、前に進んでいった。小学生がダッシュで駆け上っていく。驚くべき軽装備の彼らは、先を競うかのように、何かに取り付かれたように先を急ぐ。

最後に急峻な岩々を登りきると、ようやく頂上にたどり着く。焼酎のCM(白波だったかな)にも登場する岩場から眺める360度のパノラマは確かに美しい。うす曇りの天気が残念ではあるけれど、そのマイナスを差し引いてもおつりがくる雄大さ。風を受け、岩場に立つ。手を広げ、風を捉えれば本気で飛べるんじゃないだろうかと思わせる、そんな光景だ。

開聞岳は、美しいが厳しい。その昔は修行僧がこもった山でもある。気高い故に厳しい、厳しい故に美しい。恐らくは日本人のDNAに組み込まれているであろう、そんな感慨を抱きつつ僕らはしばらく風に吹かれていた。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索