秋山兄弟

2006年5月12日
松山で秋山好古・真之兄弟の生家が公開されているそうだ。「坂の上の雲」ファンの僕としては行かざるをえないでしょう。秋山兄弟は日清・日露戦争時に活躍した軍人で、陸軍と海軍の違いこそあれ、互いに重大な戦局で重要な役割を果たした。

生家は最近復元された建物で、新しい木の雰囲気は「歴史」を感じさせることがない。残念ながら「生家」は歴史的建造物ではなかった。ただ同じ間取りの家に、退役したとはいえ陸軍大将が住んでいたとは到底思えない質素な造りで、好古の性格が偲ばれた。

真之の「奇人参謀」の側面は、あまり表に出ていない。天才的な知略で日本海海戦で勝利に導いたことが、英雄的に描出されている。まぁ間違いではない。

でも太平洋戦争時に彼が世に出ていたら、同様の頭脳を発揮する機会が恵まれただろうか?おそらく官僚的軍隊組織の中に埋没するか、井上成美のように異端児扱いされて左遷されるのが関の山であろう。天才参謀が活躍するためには、使いこなす将帥の存在が不可欠なのだ。

西郷隆盛に代表される薩摩型将帥は、全てを任せることができる人材を見つけることが特徴で、部下に自由に仕事をさせるための環境づくりに徹していた。山本権兵衛を使った西郷従道、児玉源太郎に任せた大山巌、そして秋山真之を主任参謀に用いた東郷平八郎。同じスタイルだ。

真之の天才は、薩摩によって引き出された。
鹿児島に住む人間としては、ちょっと嬉しくもある。

腹を括り、部下の責任は全て自分が取るという覚悟。「坂の上の雲」が人気が高い小説であるのは、日本人が上を向いて走り続けていた疾走感とともに、理想の組織とは何か?という問いを、現代社会に投影させているからではないかと思う。

途中から話が飛びました…。すいません。

秋山記念館には、兄弟が見つめ合うように銅像が建っている。少し違和感を感じたのは、彼らは自分の銅像を故郷に造ってもらいたいと考えていたかどうかが疑問だったからだ。

功成して、銅像を建てる。そんな俗物的(俗人的?)な欲望を持っていたとは、どうしても思えないのだけれども。

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