墨攻

2007年3月1日 映画
毎月1日は映画1000円という気軽さと、近くのシネコンで公開が明日までという切迫感に背中を押されて「墨攻」を観てきました。残念ながら酒見賢一著の小説も、大ヒットしたという漫画も読んでいない。「墨家」という集団がいたこと、戦闘のプロであったということ、入れ墨をしていたこと・・・そんな程度の知識しか持っていなかった。

あ、一応僕の大学の専攻は東洋史ですが、なにか?

宣伝文句はスケールが大きい。
「10万の敵に、たったひとりで挑む」
彼が城に来なければ戦いは生じなかったことを考えれば、このフレーズも頷ける。ただ実際に「10万人対1人」なんて構図は、ネットでブログ炎上!なんてケース以外あり得るはずがない。戦ったのは数千人の戦闘員と非戦闘員。羊の群れを率いる狼のように、墨者たる革離が活躍するストーリー。

攻城戦を中心に描いているため、スケールが大きそうに見えて、実はすごく狭い部分を描いている。そりゃ10万人ものエキストラを動員できるはずもなく、当然「軍勢、雲霞のごとく」といった迫力は感じられない。確かに当時は数を誇張するケースが大半と考えられ(「三国志」赤壁の戦いの時の曹操軍100万みたいな)、10万の軍勢って言ってもせいぜい3、4万くらいだったのかもしれないけど。

また、紀元前の話なので時代考証もあったもんじゃないが「あんな大声で裏切りの相談してたらバレるでしょ、普通」的なツッコミどころも多かった。あと「鎧を身に着けて、あの高さから飛び込めば死ぬでしょ、普通」や「そもそもあの時代に気球なんてあったんか」などなど。

だけど全体的な流れや、戦闘シーンでの高揚感、アンディ・ラウのかっこよさ、ヒロインの美しさ(かなり高得点)などを加味すると僕としては合格点。戦争の愚かさ、愚鈍な指導者が導く結末、いとも簡単に人が死んでいく虚しさや儚さ。「非戦」「兼愛」を説きながら、より多くの人を殺すことが自らの存在意義であった革離の二律背反的な哀しみ。ちゃんと描出されていたと思います。

ただ「墨守」に対して「墨攻」という言葉を創ってまで、革離に託した意義が今一つ解からない。それが一女性に向けた愛情を指すのであれば、ちょっと矮小化し過ぎのような気もする。
「愛は世界で最も尊い」なんて言いたいわけじゃないでしょ、この映画。革離の「攻」が前面に押し出されなかったことで、全体的に曖昧なままストーリーが進んでいった印象が強い。

やっぱり予備知識が必要な映画だと思う。原作を読んでいたり、中国史に興味がある人ならそれなりに楽しめる。

あ、僕の卒論のテーマは「韓非子」でしたが、なにか?

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