知覧再々訪
2007年4月7日桜舞う知覧、三度目の訪問。正確には20年以上前に一度訪ねているので四度目となる。20年前と比べると、平和記念館は立派になったけれど、裏手の三角兵舎はそのままの姿を保っている。しかし、流れる空気はちっとも変わっていない。
映画「俺は君のためにこそ死にに行く」のプロモーションとも取れるVTRが流れる中、やはり僕はまた同じ疑問にぶち当たった。
「彼らはなぜ死んだのか」
愛する者(それは人とは限らず、故郷といった漠然としたものかもしれないが)を護るために?そう自分自身を納得させなければ、彼らは機上の人とはなれなかっただろう。軍人として死に場所を得たから?日本人として花と散ることを望んだから?
4月7日に出撃していった人たちもいた。62年前。ここから爆弾を積んだ飛行機に乗って、生還を期すことなく操縦悍を握った若者がいた。生きていれば70〜80代のおじいちゃんなのに、並べてある写真はみんな今の僕よりも年下であることも不思議に思えてくる。
なんども書き直したであろう遺書や「七生報国」などと綴った寄せ書きが並ぶ。哀しいのは、自分の感情を押さえつける威勢のいい言葉を並べて、葛藤と諦めと希望を糊塗しているかのように思えることだ。
美しいかもしれないけれど、この上なく哀しい。
彼らに罪はない。軍部の上層部(知覧で言うと陸軍参謀本部)と、有為な若者を無謀な作戦で死地に追いやることを痛痒に感じていなかった国家の罪だ。彼らを賛美し、集団心理を巧みに利用して、その死をことさらに飾り立てた国家の狂気だ。
知覧から飛び立った特攻機で最も多かった機体は、九十七式戦闘機だそうだ。引き込み脚でもない、時代遅れの飛行機に乗って沖縄に飛ばなければならない彼らの気持ちはいかばかりか?
本気で空母を撃沈できると信じていたのか?
自分の犠牲によって日本が救われると信じていたのか?
開門岳は62年を経た今日もきれいだったけれど、特攻隊員たちが上空から眺めたであろうその姿は、いつもよりも哀しいシルエットに感じた。
映画「俺は君のためにこそ死にに行く」のプロモーションとも取れるVTRが流れる中、やはり僕はまた同じ疑問にぶち当たった。
「彼らはなぜ死んだのか」
愛する者(それは人とは限らず、故郷といった漠然としたものかもしれないが)を護るために?そう自分自身を納得させなければ、彼らは機上の人とはなれなかっただろう。軍人として死に場所を得たから?日本人として花と散ることを望んだから?
4月7日に出撃していった人たちもいた。62年前。ここから爆弾を積んだ飛行機に乗って、生還を期すことなく操縦悍を握った若者がいた。生きていれば70〜80代のおじいちゃんなのに、並べてある写真はみんな今の僕よりも年下であることも不思議に思えてくる。
なんども書き直したであろう遺書や「七生報国」などと綴った寄せ書きが並ぶ。哀しいのは、自分の感情を押さえつける威勢のいい言葉を並べて、葛藤と諦めと希望を糊塗しているかのように思えることだ。
美しいかもしれないけれど、この上なく哀しい。
彼らに罪はない。軍部の上層部(知覧で言うと陸軍参謀本部)と、有為な若者を無謀な作戦で死地に追いやることを痛痒に感じていなかった国家の罪だ。彼らを賛美し、集団心理を巧みに利用して、その死をことさらに飾り立てた国家の狂気だ。
知覧から飛び立った特攻機で最も多かった機体は、九十七式戦闘機だそうだ。引き込み脚でもない、時代遅れの飛行機に乗って沖縄に飛ばなければならない彼らの気持ちはいかばかりか?
本気で空母を撃沈できると信じていたのか?
自分の犠牲によって日本が救われると信じていたのか?
開門岳は62年を経た今日もきれいだったけれど、特攻隊員たちが上空から眺めたであろうその姿は、いつもよりも哀しいシルエットに感じた。
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