石見銀山も世界遺産の賑わい
2008年5月3日 ツーリング
R9を石見銀山に向かって北上する。日本海を望むのんびりとした国道を、あまりスピードを上げることなく走る。1時間ばかり走っただろうか、看板に「石見銀山」の文字が現れてきた。
今回のツーリングにおけるハイライトのひとつ。世界遺産に認定されなければ、おそらく興味も持たなかったであろう山陰の僻地。駐車場を離れた場所に造ってバスで観光客を運ばなければならないほど、「観光地」としての整備が進んでいなかった場所とも言える。
大森のバス停で降りて、遊歩道を進む。柔らかな日差しの小川沿いをしばらく歩き、清水谷精錬所跡地に至る脇道を入ると、草むした何段もの石積みの遺構がひっそりと佇んでいる。炉があったと思われる穴は整然と並び、要塞の砲門を思わせる。
この周辺から間歩(まぶ)と呼ばれる小さな洞穴が見られるようになる。人が屈んでようやく入れるであろう穴から、作業員が銀を採掘するために真っ暗な奥へと進んでいったそうだ。厳しい環境であることは想像に難くない。
それらの間歩ひとつひとつに番号が付けられていて、一般公開している龍源寺間歩はちょうど500番目。比較的大きな間歩で、木組みの入り口から立ったまま通り抜けできる。
坑道は全てノミを打ち、穿ったものだ。ゴツゴツと見える岩肌はじっくりと観察すると、細かなノミ跡の集合体で形成されている。30歳になると長寿の祝いをするくらいに塵肺に冒された労働者が、命を削りながら打ったノミの跡だ。気が遠くなるような作業を延々と繰り返した工程の末に、僕は立っていた。
世界遺産というブランド化によって一躍脚光を浴びた石見銀山。徒歩でしか辿り着けない「不便性」、決して派手さはないものの素朴な雰囲気を残した街並み。「銀の手作業による大量生産システム」、すなわち産業革命的な工業化の過程が世界遺産登録の要因になったらしいが、こんな日本の原風景を永く保存することのほうが意味があるように思う。
「世界遺産」自体、ユネスコで審議されるわけなので、欧米文化の尺度が少なからず反映されると思われる。ただ、この辺鄙な山中にスポットを当てたセンスは賞賛してもいい。こんな純日本的な姿が、欧米の審査員の心を打ったのかもしれない。
そんな感想をひとりで反芻しながら、更に偉大な文化遺産である出雲大社に向けてF650GS、通称イカデビルのモノトーンの車体を走らせる。5月の日差しは思ったより強烈であった。
今回のツーリングにおけるハイライトのひとつ。世界遺産に認定されなければ、おそらく興味も持たなかったであろう山陰の僻地。駐車場を離れた場所に造ってバスで観光客を運ばなければならないほど、「観光地」としての整備が進んでいなかった場所とも言える。
大森のバス停で降りて、遊歩道を進む。柔らかな日差しの小川沿いをしばらく歩き、清水谷精錬所跡地に至る脇道を入ると、草むした何段もの石積みの遺構がひっそりと佇んでいる。炉があったと思われる穴は整然と並び、要塞の砲門を思わせる。
この周辺から間歩(まぶ)と呼ばれる小さな洞穴が見られるようになる。人が屈んでようやく入れるであろう穴から、作業員が銀を採掘するために真っ暗な奥へと進んでいったそうだ。厳しい環境であることは想像に難くない。
それらの間歩ひとつひとつに番号が付けられていて、一般公開している龍源寺間歩はちょうど500番目。比較的大きな間歩で、木組みの入り口から立ったまま通り抜けできる。
坑道は全てノミを打ち、穿ったものだ。ゴツゴツと見える岩肌はじっくりと観察すると、細かなノミ跡の集合体で形成されている。30歳になると長寿の祝いをするくらいに塵肺に冒された労働者が、命を削りながら打ったノミの跡だ。気が遠くなるような作業を延々と繰り返した工程の末に、僕は立っていた。
世界遺産というブランド化によって一躍脚光を浴びた石見銀山。徒歩でしか辿り着けない「不便性」、決して派手さはないものの素朴な雰囲気を残した街並み。「銀の手作業による大量生産システム」、すなわち産業革命的な工業化の過程が世界遺産登録の要因になったらしいが、こんな日本の原風景を永く保存することのほうが意味があるように思う。
「世界遺産」自体、ユネスコで審議されるわけなので、欧米文化の尺度が少なからず反映されると思われる。ただ、この辺鄙な山中にスポットを当てたセンスは賞賛してもいい。こんな純日本的な姿が、欧米の審査員の心を打ったのかもしれない。
そんな感想をひとりで反芻しながら、更に偉大な文化遺産である出雲大社に向けてF650GS、通称イカデビルのモノトーンの車体を走らせる。5月の日差しは思ったより強烈であった。
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