60年に一度
60年といえば、干支が5回巡り、オリンピックが15回開催でき(冬季は含めませんが・・・)、おぎゃあと生まれた赤ちゃんが還暦を迎える歳月。多くの人にとって、60年に一度のチャンスは一生に一度と言い換えられるだろう。

出雲大社で「御本殿特別拝観」を行っていることは、前日のキャンプ場でのライダーズミーティング(おおげさ?)で知った。
「60年に一度なんですよ!」と興奮気味に話すCB750のお兄さん(後で聞いたら僕より年下だった・・・)によると、入場に際して服装の規定があり、Tシャツ・ジーンズしか持っていなかった彼は近くのスーパーで一式揃えてまで拝観したそうだ。

お供焼酎の八幡で酔っ払っていた僕は、そこまでして観る価値があるかどうかの判断は下せなかったが、当日は「せっかくだから行こうかな」くらいの認識で出雲大社に向かっていた。鳥居の傍の空き地にバイクが並んでいたため、イカくんもちょっと停めさせてもらう。土埃りが舞う長い松並木の参道を進む。

その時の格好が、Tシャツの上にグレーのパーカーを羽織り、ジーンズによく似た革の黒いパンツ(KUSHITANIのカントリージーンズ)とライダーシューズという、とても正装からは程遠い姿。ちなみに境内の入り口に掲示されていたドレスコードは以下の通りである。

失礼のない服装で拝観下さい。
(襟・袖付シャツ、長ズボン、スカート、和装、靴等)
※Tシャツ、ジーンズ、ジャージ、短パン、カーゴパンツ、短いスカート、作業着、サンダル、ミュール等は不可

正直微妙だな、と思っていた。行列の一番後ろには警備員がいて、列に並ぶ人たちを誘導している。そこで服装について何も言われなかったので、とりあえずは第一関門通過。初夏の日差しが降り注ぐ境内で40分ほど待ち、ようやく記帳するためのテントに到達した。

ここでは更に厳しい服装チェックを行っているようだ。少し前を歩いていた青年は、シャツを出していただけで「入れて下さい」とシャツインを指示されていた。パーカーの僕は何を言われるんだろう?
「大切なのはここに来て、厳かにお参りしようと思う心じゃないんですか?」
「60年前にもこのような規定はありましたか?」
「更に60年前は洋装もダメだったんじゃないですか?」
言い訳をいろいろ考えて、記帳場所に進む。緊張の一瞬の後、僕は住所を記入していた。どうやら僕を見咎める人はいない。
セーフ!
僕は心の中で、内野安打をジャッジする一塁塁審のように両手を広げた。

御本殿の中は写真撮影禁止だったので、その情景を伝えるのは難しいが、その厳粛な佇まいと、無骨でありながら計算され洗練されている建築美。少なからず、60年に一度という極めて希少な機会であるという事実に起因する感情も生じていただろう。ただそれを凌駕する迫力があったことも事実だ。

天井に描かれた八雲は七つしかなかった。神様の発展には終わりがないことを、一つ残して示したかったとする説もあるそうだ。あえて「未完成」にした昔日の人たちのセンスに驚く。

写真は拝殿。大きな注連縄が印象的だった。僕は彼女への安産御守と自身の交通安全御守を購入。ありがたいことに、この御守が翌日僕の命を救ってくれるとは、この時知る由もなかった。

「じゃ、また60年後に」
僕は静かに語りかけた。その時、僕は95歳になる。

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