フェリーが阿賀港に着き、僕は海沿いをぐるっと回って呉に入った。IHIだろうか、大きな工場を過ぎるとそこはまさに「軍港」だった。
濃いグレーの護衛艦や潜水艦が並ぶ。鹿児島でも錦江湾で護衛艦など自衛隊の艦船が見られることがあるが、ここでは群れをなして停泊している。
艦隊だ。
旧海軍の連合艦隊の母港であり、目と鼻の先には海軍兵学校があった江田島、戦艦大和が建造されたドックもこの場所にあった。まさに海軍の街だ。
60年以上前、ここに日本という国家の存亡を左右した巨大組織が存在していた。帝国海軍の衰退とともに、海洋国家である日本は次々と選択肢を失っていったと言っても過言ではないだろう。
そして現在。我々は平和の中で暮らしている。目の前にいる軍艦たちが、願わくば人の命を奪うことなく退役しますように。そして、イージス艦がその名の通り、平和の盾でありますように。
戦争とか平和とか、そんな人間の営みには全く無縁な美しい夕陽を眺めながら、僕はオレンジに染まったF650GSをひたすら広島市に向けて北上させた。
濃いグレーの護衛艦や潜水艦が並ぶ。鹿児島でも錦江湾で護衛艦など自衛隊の艦船が見られることがあるが、ここでは群れをなして停泊している。
艦隊だ。
旧海軍の連合艦隊の母港であり、目と鼻の先には海軍兵学校があった江田島、戦艦大和が建造されたドックもこの場所にあった。まさに海軍の街だ。
60年以上前、ここに日本という国家の存亡を左右した巨大組織が存在していた。帝国海軍の衰退とともに、海洋国家である日本は次々と選択肢を失っていったと言っても過言ではないだろう。
そして現在。我々は平和の中で暮らしている。目の前にいる軍艦たちが、願わくば人の命を奪うことなく退役しますように。そして、イージス艦がその名の通り、平和の盾でありますように。
戦争とか平和とか、そんな人間の営みには全く無縁な美しい夕陽を眺めながら、僕はオレンジに染まったF650GSをひたすら広島市に向けて北上させた。
コメント