ふたつのミュージアム 後編
2008年5月5日 ツーリング
「坂の上の雲ミュージアム」を訪れた約4時間後、僕は呉にいた。この日ふたつ目のミュージアムは、多くの人たちで溢れ返っていた。さすがGW。
外観は瀟洒。「大和ミュージアム」だけあって猛々しいイメージを有していた僕は、少し肩透かしを喰った気持ち。常設展示と特別企画展を併せて700円は、お得の部類に入るだろう。企画展『「海軍」が来た』は、多少常設展示とカブるものの丁寧な造りは好感が持てる。
入ってすぐに戦艦大和の10分の1模型が展示されている。その大きさは迫力があるが、出来立てのプラモデルのような「軽さ」を感じてしまう。艦橋やマスト、砲塔や高角砲など隅々まで精緻に作り込まれているだけに、このリアリティーのなさはなんなのだろう、と考えた。
色かな?
写真に残る大和は全てモノクロであり、圧倒的に重々しい。模型の外装はきれい過ぎて、プラスチッキーに映るのは仕方ないか。
「船」としてのリアリティーか?
喫水線下まで見せているため、宇宙戦艦ヤマトみたいだ。波動砲はないけどね。
内部の展示に関してふたつのミュージアムを比べると、「大和・・・」の方が一貫性があり、見せ方も上手い。田舎町であった呉が軍港として開発されていく過程や、大和建造のプロセスなど生来男の子の持つテンションを上げる展示物が並び、さらに人間魚雷「回天」やゼロ戦の実物大模型も置かれており、視覚的にも派手であり、見栄えがする。サインバットを展示していた「坂の上・・・」とは全く色合いを異にする。
気になったのは、「この技術は何々に転用されています」と言った説明だ。世界最先端の戦艦建造技術を突き詰めれば、戦後の高度成長を支えた科学技術の礎になったことは疑念がない。確かに戦争は技術向上に寄与するが、技術の向上は戦争なくして叶わないものなのだろうか。このミュージアムの論調は、海軍の街であるが故に、戦争の産物(=換言すれば人を殺す道具を造り、使用すること)を無理に正当化しようとしているようにも聞こえるのだ。
小学生の時、初めて吉田満著「戦艦大和ノ最期」を読んだ衝撃は忘れられない。日本再生への願いを先駆けとなって散ることへ昇華させた青年士官。軍艦旗を守り沈んだ水兵。様々なシーンが焼き付いている。彼らが大和艦上で勇敢に戦ったことは紛れもなく事実であり、その崇高な精神は素直に称えられるべきだし、語り継がなければならない歴史であろう。
それら事実や悲劇を伝承していくことに僕はなんの文句も付けないけれど、そこには同時に「なぜ?」と語りかける姿勢が必要だろうと思う。
「なぜ大和は沖縄に向かったのか?」
「なぜ3,000人もの乗組員は徳之島沖に沈まなければならなかったのか?」
沖縄特攻作戦に連動した出撃であったにせよ、その命令はあまりにも杜撰で無計画と言わざるを得ない。美しく、且つ理路整然とした展示は、高い技術や悲劇性をフォーカスすることで、かえってそんな「Why?」を考える機会を奪う。
呉は今も海上自衛隊の基地があるため、色づけに制約があるのは致し方ない。僕は展示内容には概ね満足したが、結局知覧で感じる違和感と同質の感情を拭い去れなかった。
お土産屋さんにはTシャツやお菓子が並ぶ。平和っていいもんなんだね。
外観は瀟洒。「大和ミュージアム」だけあって猛々しいイメージを有していた僕は、少し肩透かしを喰った気持ち。常設展示と特別企画展を併せて700円は、お得の部類に入るだろう。企画展『「海軍」が来た』は、多少常設展示とカブるものの丁寧な造りは好感が持てる。
入ってすぐに戦艦大和の10分の1模型が展示されている。その大きさは迫力があるが、出来立てのプラモデルのような「軽さ」を感じてしまう。艦橋やマスト、砲塔や高角砲など隅々まで精緻に作り込まれているだけに、このリアリティーのなさはなんなのだろう、と考えた。
色かな?
写真に残る大和は全てモノクロであり、圧倒的に重々しい。模型の外装はきれい過ぎて、プラスチッキーに映るのは仕方ないか。
「船」としてのリアリティーか?
喫水線下まで見せているため、宇宙戦艦ヤマトみたいだ。波動砲はないけどね。
内部の展示に関してふたつのミュージアムを比べると、「大和・・・」の方が一貫性があり、見せ方も上手い。田舎町であった呉が軍港として開発されていく過程や、大和建造のプロセスなど生来男の子の持つテンションを上げる展示物が並び、さらに人間魚雷「回天」やゼロ戦の実物大模型も置かれており、視覚的にも派手であり、見栄えがする。サインバットを展示していた「坂の上・・・」とは全く色合いを異にする。
気になったのは、「この技術は何々に転用されています」と言った説明だ。世界最先端の戦艦建造技術を突き詰めれば、戦後の高度成長を支えた科学技術の礎になったことは疑念がない。確かに戦争は技術向上に寄与するが、技術の向上は戦争なくして叶わないものなのだろうか。このミュージアムの論調は、海軍の街であるが故に、戦争の産物(=換言すれば人を殺す道具を造り、使用すること)を無理に正当化しようとしているようにも聞こえるのだ。
小学生の時、初めて吉田満著「戦艦大和ノ最期」を読んだ衝撃は忘れられない。日本再生への願いを先駆けとなって散ることへ昇華させた青年士官。軍艦旗を守り沈んだ水兵。様々なシーンが焼き付いている。彼らが大和艦上で勇敢に戦ったことは紛れもなく事実であり、その崇高な精神は素直に称えられるべきだし、語り継がなければならない歴史であろう。
それら事実や悲劇を伝承していくことに僕はなんの文句も付けないけれど、そこには同時に「なぜ?」と語りかける姿勢が必要だろうと思う。
「なぜ大和は沖縄に向かったのか?」
「なぜ3,000人もの乗組員は徳之島沖に沈まなければならなかったのか?」
沖縄特攻作戦に連動した出撃であったにせよ、その命令はあまりにも杜撰で無計画と言わざるを得ない。美しく、且つ理路整然とした展示は、高い技術や悲劇性をフォーカスすることで、かえってそんな「Why?」を考える機会を奪う。
呉は今も海上自衛隊の基地があるため、色づけに制約があるのは致し方ない。僕は展示内容には概ね満足したが、結局知覧で感じる違和感と同質の感情を拭い去れなかった。
お土産屋さんにはTシャツやお菓子が並ぶ。平和っていいもんなんだね。
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