鹿児島には国際姉妹都市がある。長沙、マイアミ、ナポリ、そしてオーストラリアのパース。鹿児島市内をのんびり走る市電には、それらの都市名を車体にプリントしたものがあり、その内のひとつ「パース」バージョンでは「世界一美しい街」というキャッチフレーズが躍っている。
しばしば見かけるその文字に、僕は心の底に沈殿した澱がゆっくりと掻き混ぜられるのを自覚する。世界一美しいその街に行ったことはないが、僕にとって「パース」は世界地図の上の一都市ではない。
大学卒業間近の2月下旬、寝ていた僕は一本の電話で起こされた。母が取った電話が部屋の子機(当時は携帯がなかった)に繋がった。声の主は同じ専攻のタロウで、夜の海のように重苦しい声でこう告げた。
「ヒロシが死んだ」
寝起きの状態だったし、あまりに現実味のない話に僕は事態を全く把握できなかった。徐々に涙声になってきたタロウによると、卒業旅行に行っていたヒロシが事故で亡くなったらしい。性質の悪い冗談ならばよかったが、現在高校教師をしているタロウは残念ながら至極正直でまじめなヤツだった。
その日の行動はよく覚えていない。帰宅したのが翌朝で、音もなく雪が降っていたことだけは鮮明に記憶している。なにがなんだかわからなかったのだろう。
ヒロシは中学からの友人で、大学まで同じ道を歩んだ言わば腐れ縁。互いの家に泊まったり、旅行したりと行動を共にすることが多く、「親友」と言うより「親族」のようなイメージだった。二人して徹夜でPCゲーム「太平洋の嵐」に没頭し、画面上に来襲する米艦隊をことごとく撃退して快哉を上げていた。
人懐こい丸顔に常に笑顔をたたえ、誰からも好かれていたと思う。何でも器用にこなすので、僕はそんなヒロシが羨ましかった。大学に入り、それぞれ活動する領域が分かれてからはさすがに疎遠になったが、キャンパスで会えば当然のように会話が始まる仲に変わりはなかった。
ヒロシは旅サークルに入っていて、卒業旅行はオーストラリアを自転車で旅するという学生時代にしかなしえない冒険を選択した。そしてパース郊外を走行中、無免許の少年が運転する車にはねられた。
その場で救助活動をしてくれた人たちに対して、最期に「Thank You」と言ったというエピソードは、なんだかでき過ぎな気もするけど、ヒロシなら言うかもなとも思う。突然中断された人生に対して、怨嗟じゃなくて感謝の言葉が出るあたり、お人よしなヒロシなら「さもありなん」かもな。
僕とタロウは、葬式で弔辞を読むことになった。僕はお互い好きだった三国志の登場人物である曹殖の詩を詠んだ。今にして思うと、自分自身の言葉で送ってやれなかったことが悔やまれる。いろんな意味で僕は混乱していたし、友人を見送るには幼すぎたのだ。
社会人になった僕はパースの姉妹都市の鹿児島にいる。ヒロシが好きだった近鉄バファローズもなくなり、時間の経過と共に彼の思い出は薄れていくけれど、「パース」の文字を見るたびになにか因縁めいた繋がりを感じる。
そう、世界一美しい街でヒロシは死んだのだ。
あれから14年の歳月が過ぎた。
もう歳を取らないヒロシは、中年にさしかかり頭頂部が寂しくなった僕を見てなんて言うだろう?「悠久」と刻まれた墓碑に、今度尋ねてみよう。
しばしば見かけるその文字に、僕は心の底に沈殿した澱がゆっくりと掻き混ぜられるのを自覚する。世界一美しいその街に行ったことはないが、僕にとって「パース」は世界地図の上の一都市ではない。
大学卒業間近の2月下旬、寝ていた僕は一本の電話で起こされた。母が取った電話が部屋の子機(当時は携帯がなかった)に繋がった。声の主は同じ専攻のタロウで、夜の海のように重苦しい声でこう告げた。
「ヒロシが死んだ」
寝起きの状態だったし、あまりに現実味のない話に僕は事態を全く把握できなかった。徐々に涙声になってきたタロウによると、卒業旅行に行っていたヒロシが事故で亡くなったらしい。性質の悪い冗談ならばよかったが、現在高校教師をしているタロウは残念ながら至極正直でまじめなヤツだった。
その日の行動はよく覚えていない。帰宅したのが翌朝で、音もなく雪が降っていたことだけは鮮明に記憶している。なにがなんだかわからなかったのだろう。
ヒロシは中学からの友人で、大学まで同じ道を歩んだ言わば腐れ縁。互いの家に泊まったり、旅行したりと行動を共にすることが多く、「親友」と言うより「親族」のようなイメージだった。二人して徹夜でPCゲーム「太平洋の嵐」に没頭し、画面上に来襲する米艦隊をことごとく撃退して快哉を上げていた。
人懐こい丸顔に常に笑顔をたたえ、誰からも好かれていたと思う。何でも器用にこなすので、僕はそんなヒロシが羨ましかった。大学に入り、それぞれ活動する領域が分かれてからはさすがに疎遠になったが、キャンパスで会えば当然のように会話が始まる仲に変わりはなかった。
ヒロシは旅サークルに入っていて、卒業旅行はオーストラリアを自転車で旅するという学生時代にしかなしえない冒険を選択した。そしてパース郊外を走行中、無免許の少年が運転する車にはねられた。
その場で救助活動をしてくれた人たちに対して、最期に「Thank You」と言ったというエピソードは、なんだかでき過ぎな気もするけど、ヒロシなら言うかもなとも思う。突然中断された人生に対して、怨嗟じゃなくて感謝の言葉が出るあたり、お人よしなヒロシなら「さもありなん」かもな。
僕とタロウは、葬式で弔辞を読むことになった。僕はお互い好きだった三国志の登場人物である曹殖の詩を詠んだ。今にして思うと、自分自身の言葉で送ってやれなかったことが悔やまれる。いろんな意味で僕は混乱していたし、友人を見送るには幼すぎたのだ。
社会人になった僕はパースの姉妹都市の鹿児島にいる。ヒロシが好きだった近鉄バファローズもなくなり、時間の経過と共に彼の思い出は薄れていくけれど、「パース」の文字を見るたびになにか因縁めいた繋がりを感じる。
そう、世界一美しい街でヒロシは死んだのだ。
あれから14年の歳月が過ぎた。
もう歳を取らないヒロシは、中年にさしかかり頭頂部が寂しくなった僕を見てなんて言うだろう?「悠久」と刻まれた墓碑に、今度尋ねてみよう。
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