百名城9城目。
おそらく城好きの間では知られていたのだろうが、にわかお城ファンの僕は正直全く知らなかった。柴田勝家の甥、柴田勝豊の築城とも言われる小ぶりな天守は、現存する中では最古の建物らしい。ただ、一度地震によって崩壊した天守を80%以上同じ資材を用いて建て直したとのことで、厳密に言うと最古ではない。しかし充分に品格を備え、威厳と趣があった。
天守閣に登る。急な階段には縄が下げられており、掴まなければ登れないほどの急角度。ここまで敵に攻め込まれた場合に、形勢を挽回することは不可能であろうが、自らの命を絶つ時間くらいは稼げるかもしれないと思う。もしそれが目的で急な階段を拵えたとすれば、武士の美徳と哀しさと言えるだろう。
丸岡藩の初代藩主は本多成重という人物で、日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の「お仙(仙千代)」だそうだ。父の重次が長篠の戦いの陣中から妻に送ったもので、簡潔な名文とされている。いつの時代もコミュニケーションの重要性を示す、ほっこりするエピソードだ。
「一筆啓上 ツーリング 無事帰るまで 娘よろしく」
なんてメールしようと思ったが、家を空けて遊び呆けている事実をわざわざ知らしめるような気がしたので止めておいた。
おそらく城好きの間では知られていたのだろうが、にわかお城ファンの僕は正直全く知らなかった。柴田勝家の甥、柴田勝豊の築城とも言われる小ぶりな天守は、現存する中では最古の建物らしい。ただ、一度地震によって崩壊した天守を80%以上同じ資材を用いて建て直したとのことで、厳密に言うと最古ではない。しかし充分に品格を備え、威厳と趣があった。
天守閣に登る。急な階段には縄が下げられており、掴まなければ登れないほどの急角度。ここまで敵に攻め込まれた場合に、形勢を挽回することは不可能であろうが、自らの命を絶つ時間くらいは稼げるかもしれないと思う。もしそれが目的で急な階段を拵えたとすれば、武士の美徳と哀しさと言えるだろう。
丸岡藩の初代藩主は本多成重という人物で、日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の「お仙(仙千代)」だそうだ。父の重次が長篠の戦いの陣中から妻に送ったもので、簡潔な名文とされている。いつの時代もコミュニケーションの重要性を示す、ほっこりするエピソードだ。
「一筆啓上 ツーリング 無事帰るまで 娘よろしく」
なんてメールしようと思ったが、家を空けて遊び呆けている事実をわざわざ知らしめるような気がしたので止めておいた。
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